2012.4.15礼拝メッセージ要旨(黙示録21:1~27)

 この章は、聖書の中で、天の光景について最も詳細に記してある箇所と言えるでしょう。この21章、大まかに見て、天では三つの特徴があります。①死も悲しみも叫びもない。②高価な宝石のようなもので形づくられていた。この記事だけですと、若干、無機質な感じがしますが、22章には川もあり、植物もあるようですから、心配?することはないでしょう。③主ご自身が天の都を照らしていた。さて、さて、ここを読んで、私たちはどんなふうに感じるでしょう。すごい!素晴らしい!と感じる反面、多少の違和感もあるかもしれません。つまり、生活感がなくて、なんとなく実際的な魅力を感じないかもしれません。時々、死の間際などに、霊魂が体から離れて、天国を体験した人の証言を聞くことがあります。そこに入ると、皆、異口同音に、「二度と地上に戻りたいとは思わない。」と告白しています。実は、天国はこの上なく魅力的な所なのです。第一コリント13:12を見ますと、そこは完全な場所であり、明確にすべてを知ることができ、むしろ、今の私たちが住むこの地上がほんの一部分でぼんやりした場所であるのです。私たちは、やがてその素晴らしい場所に入らせていただくために必要なことは、イエス様を信じる「信仰」です。また、その信仰を安定的に持続するために「すべてのことに感謝する」ことです。クリスチャンにはイエス様というバックボーンがあります。この世で起こるすべての現象は、全能の主の御手の中にあり、神がすべてのことを働かせて益としてくださるのです(ローマ8:28)。ですから、私たちは、その神を信頼し、信仰を働かせながら、すべてのことについて感謝していきましょう。

2012.4.8礼拝メッセージ要旨(ルカ24:1~12)

 日本ではクリスマスが有名ですが、イースター(復活祭)は、それほど一般的に知られていません。しかし、その内容においてはクリスマスよりも大切な行事ということになります。なぜなら、私たち人間にとって最も恐れる死の解決がイエス様の十字架と復活にあるからです。イエス様は多くの人の罪をその身に負い、十字架で死なれました。それだけでも特別なことですが、イエス様はどうしても復活する必要がありました。それは、復活しなければ、イエス様が真の神のひとり子とは認められず、十字架による罪の赦しも有効なものとみなされないからです。イエス様は、確かに復活し、今日、イエス様を信じる私たちもイエス様と同じように永遠に死ぬことのない復活のからだにされるのです。なんという大きな希望でしょう。しかし、この希望は中々見えにくいところがあります。私たち人間は、財産、名誉、業績、そういったものを持つことによって、それらのものに無意識のうちに頼ってしまうところがあるものですが、しっかりとした人生の土台となりうるのはイエス・キリストだけです。今日、イエス様の墓と言われるところはありますが、そこにはイエス様はおられません。よみがえったからです。自らの無力さを悟り、この方、イエス様を信じる者には聖霊が注がれる、つまり復活のイエス様がともにいてくださいます。イエス様が共におられるなら、恐いものがなくなります。生きる目的が見つかります。毎日が楽しい。もちろん、問題があっても祈ることができます。聖書のことばに励まされます。そして真の希望を持つことができます。 

2012.4.1礼拝メッセージ要旨(黙示録20:1~15)

 この章では三つのキーワードから学びましょう。第一に「千年の間~」です。一般的には千年王国と言われていますが、この「千年の間~」と表現している箇所は聖書ではここだけです。但し、この箇所に関連すると推測できる記事は聖書に何箇所かありますが、聖書は、千年王国について、それほど詳しく述べてはいません。千年が実際的な数字なのか、象徴的な表現なのか、色々な説があるようです。大事なことは、千年王国そのものに対する議論よりも、そういった祝福の場所に入るために主を恐れ、主のみことばに聞き従うことです。第二は、「いのちの書」です。モーセは、出エジプト32:32で「いのちの書」と同じ概念のことを言葉にしています。70人がイエス様に遣わされて、その働きが成功して帰ってきたとき、イエス様は「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。(ルカ10:20)」と言われました。いのちの書に名が記されるということはこの上ない祝福です。今日、イエス・キリストを信じ受け入れることによって、いのちの書に名が記されるのです。第三は、「第二の死」です。ユダヤ人の指導者ニコデモがイエス様をこっそり尋ねたとき、イエス様に「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはありません。(ヨハネ3:3)」と言われました。イエス様を信じて新しく生まれているなら、たとい、死んでも第二の死である永遠の滅びに至ることはありません。すでに救いのうちにある人はイエス様の福音を証ししましょう。