●6月15日礼拝メッセージ要旨(マルコ4:1~20)

 四つの種の例え話は、マタイ13章にも出てきて、多くのクリスチャンにとっては何度か聞いたことがある話でしょう。でもそれは、私たちにとって必要だから繰り返されているのでしょう。第一に、道端に落ちた種は、鳥に食べられてしまいましたが、これは、みことばをサタンに奪い取られた人のことです。第二は、岩地に落ちた種です。最初は喜んでいても、根がないため、困難や迫害があると躓いてしまう人です。第三のいばらに落ちた種とは、世の心づかい、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで実を結ばない人のことです。第四の良い地に蒔かれた種とは、みことばを聞いて受け入れ、豊かに実を結ぶ人のことです。
さて、イエス様がなぜ、この例え話をされたのでしょう。このとき、イエス様は、おびただしい群衆を前にしてこの話をされています。イエス様は、そのおびただしい群衆が一時的な現象であることをよく知っていました。実際に、イエス様が十字架にかけられるために捕らえられたとき、いつも側にいた弟子たちでさえもついてこなかったのです。しかし、キリスト昇天後のペンテコステのとき、ペテロの説教で3千人が弟子とされました。そののち、美しの門にいた足の効かない人がいやされたあと、信じた人は5千人になりました。迫害下の当時の状況から見て、この人たちは、ちょうど、良い地に落ちた種のようです。

さてそこで、今日の私たちがどうあるべきでしょうか。ヨハネ15:16には「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」とあります。私たちは実を結ぶために選ばれました。実を結ぶ、それは、私たちが主の御名によって祈り求めること(実際的な日常生活の中では切に祈り求めることが必要)、そして、その祈りが答えられることです。それらを通して主の栄光が現われ、御名が崇められます。

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