●6月22日礼拝メッセージ要旨(マルコ4:21~34)

 イエス様が、岸辺で舟の上から、陸地にいるおびただしい群衆に向かって、四つの種の例え話に続いて、お話をされます。四つの内容からポイントを四つあげて学びましょう。
 ①燭台の上のあかり…あかりは目立たない所に置くものではなく、全体を照らす所に置きます。ここで、あかりというのは、聖書のことばであり、真理のことでもあり、また、福音、あるいは証しのことでもあり、さらにはイエス様のことでもあると言えるでしょう。最近の賛美の歌に「この光輝かそう。この光輝かそう。この光輝かそう。光れ。光れ。光れ。」とあります。福音の光は、人々の前に出して、なるべく輝かすようにしましょう。
 ②祝福の法則…ガリラヤ湖から死海までは南北にほぼ直線で100km、そこをヨルダン川によって結ばれています。ガリラヤ湖は北のヘルモン山から流れる水を受けて死海に向けて水を供給し、一方、死海はヨルダン川から流れてくる水を受けるだけ。そのため、死海は文字通り死んだ海で、生物が生きられません。パウロは、ミレトの長老会で「受けるよりも与えるほうが幸いである(使徒20:35)」とイエス様のみことばを引用しました。私たちは、誰かの役に立つために生きているのです。人に仕えたり、与えることによって、却って豊かにされるのです。
 ③人手によらず…神の国の進展と植物の成長とは重なる部分があります。エリコの城の攻略を神に委ねられたヨシュアは、神のことばに従い、エリコの城の回りを六日間にわたって一回ずつ、七日目は七回回り、時の声をあげると城壁が崩れました。城壁が崩れたのは神の業です。一人の魂が救いに導かれるとき、それも神の業です。しかし、神の業が表れるため、私たちは自らの手で、すべきことはしなければなりません。
 ④神の国はからし種のようなもの…イエス様ご在世当時もそうでしたが、今日も、同じように、救いの福音は、この世の中では、ほとんど無視され、一見、頼りないように見られますが、からし種が、どの野菜よりも大きく、鳥が巣を作るほどになるように、福音以外に頼りになるものは世にありません。私たちは自力で生きているのではなく、創造主である神の奇跡的な力によって生かされています。その方が与えてくださっているイエス様による唯一の救いの福音に全面的に信頼してまいりましょう。

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