●8月20日祈祷会メッセージ要旨(箴言25章)

2節に「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」とあります。神が行われることを私たちは見極めることはできず、分からないことばかりです。しかし、そういう中にあって、私たちは、神の意図するところを探ることも意味あることです。当時、ソロモン王は神からの特別な知恵が与えられていて、事を探り極めたことでしょう。
11~12節では、時宜にかなったことば、知恵のある叱責に対して称賛していますが、人を生かす知恵に満ちた適切なことばを語りたいものです。
13節では、「忠実な使者はこれを遣わす者にとって、夏の暑い日の冷たい雪のようだ。」とありますが、今のような真夏の盛りには冷たいものが喜ばれます。天の主に喜ばれるような忠実な信仰生活を過ごしましょう。
15節では、忍耐強く説くこと、柔らかな舌に対する効能を言っています。
21~22節では、憎む者に対して善を行なうことは、彼の頭に燃える炭火を積むことだと言っています。ローマ人への手紙12:20に同じような内容の記事があります。第二列王記6:22では、預言者エリシャが、アラムの軍隊を盲目にさせて、サマリヤまで連れて来たとき、イスラエルの王がエリシャに「私が打ちましょうか。」と聞くと、エリシャは、「飲み食いさせて帰しなさい。」と言います。敵に善を施す思想は旧約時代からあったようです。
最後の節、28節には、「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ち壊された町のようだ。」とあります。逆に表現すると、自分の心を制する人は、堅固な城壁のある町のようであると言えます。自分の心を治めるというのは、結局、知恵者になるということです。イエス様はソロモンにまさる知恵がありました(マタイ12:42)。私たちは、そのイエス様から知恵をいただきましょう。祈りとみことばにより、主からの知恵によって歩ませていただきましょう。

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