●1月25日礼拝メッセージ要旨(マルコ12:1~17)

1~17節の、ぶどう園の主人のたとえ、カイザルへの税金についての二つの記事からポイントを三つあげて学びましょう。
①ぶどう園の主人と農夫…聖書には、ぶどうに関する多くの記事があります。それだけ、ぶどうやぶどう園が当時の人々の生活に密着したものであったのでしょう。我が日本国では、お米とか田んぼですと、身近な感じがします。その昔、農民が大名などに年貢米を納めていた時代がありました。農民が、年貢米を取り立てる役人を殺したなどという話は聞いたことがありません。現実は、やはり、農民(農夫)のほうが弱い立場にあります。しかし、創造主である神と人との関係においては、しばしば、否、頻繁に人の側が神に逆らうのです。イスラエルでは、かつては神に遣わされた預言者たちを殺し、今また、神のひとり子イエス・キリストを殺そうとしているのです。しかも、最も神の近くにいて、神に仕えるべき人々が、神に反逆していたのです。今日、私たちも、ぶどう園を預けられ、その収穫のための働きを期待されている農夫のようです。それぞれに与えられた賜物や能力を最大限に生かして、すべての点で神の栄光が現われる機会としたいものです(第一コリント10:31、第二コリント4:15)。
②礎の石…見捨てられた石が礎の石となった。イエス様は人々に見捨てられ、十字架で殺れました。しかし、その十字架が、多くの人々を救う唯一の道となりました。十字架、それは、神が私たちに愛を示しておられるということです(第一ヨハネ4:10)。神に愛され、神の子とされている私たちは、そのことを既成事実としてしっかりととらえていることが大事です。
③カイザルへの税金…私たちには聖書という確固たる規範が与えられていますが、一方では、この世の法律もあり、それに従うのは当然です。幸いにして、我が国において、聖書の教えと憲法や法律が相反するということは殆どありません。しかし、今後、愚かな支配者が現われて、とんでもない悪法が制定されないとも限りません。そのとき、どうするか。ペルシャの王ダリヨスの時代、ダニエルは、王以外の何ものも30日間礼拝してはいけないという、とんでもない法律が制定されたのを知って、その上で、いつものように彼の信じる全能の主を礼拝し、祈りをささげていました。それゆえ、ダニエルは獅子の穴に投げ入れられました。ところが、獅子はダニエルを襲わなかったので、王はダニエルを穴から引き上げ、ダニエルを陥れようとした大臣たちを獅子の穴に投げ入れるように命じました。私たちは、まず、創造主である神を恐れ、人を敬い、法律にも従う。そのためにも、すべての人の為に、また為政者のためにも祈らなければなりません(第一テモテ2:1)。

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