●5月17日礼拝メッセージ(マルコ15:22~47)

 イエス様がゴルゴタで、十字架につけられた場面などから、ポイントを3つあげて学びましょう。
  ①その身にわずらいを引き受けられた…十字架につけられたイエス様に没薬を混ぜたブドウ酒が差し向けられましたが、イエス様は、それを飲むことはありませんでした。その飲み物は、感覚を麻痺させて、痛みを和らげる効果があったようですが、それをイエス様が拒まれたのは、受けようとされていた痛みを全て受けとめようとされたのでしょう。イザヤ53:4には「まことに彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。」とあります。また、二人の強盗と共に十字架にかけられ、罪人の一人として数えられました。さらに、道行く人、祭司長、律法学者らに「他人は救ったが、自分は救えない。」などと言われてからかわれました。私たちの日常生活の中では、様々な患いがあるものです。なるべく、患いなど引き受けたくはありません。でも、世のため、人のため、神の栄光の為に、患いを引き受けることができたとしたら、それはその人の人間としての度量が大きいということでしょう。
  ②開かれた救いの道…時間的には、イエス様が十字架につけられたのは午前9時です。そして、12時になったとき、全地が暗くなり、3時まで続きました。そして、3時になると、イエス様は大声で「エロイエロイラマサバクタニ(わが神わが神どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれました。それは、私たちの身代わりとなり、のろわれた者となられたのです。その時、神殿の聖所と至聖所の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。ヘブル10:19に「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」とあるように、地上的な儀式によらず、イエス様による真の救いの道が開かれたのです。

  ③アリマタヤのヨセフ…アリマタヤの金持ちで有力な議員でもあったヨセフは、神の国を待ち望んでいた人で、イエス様のお体の下げ渡しを願いに、思い切ってピラトのところへ行きました。当時の状況からして、ヨセフは、自分の身に危険が及ぶことを覚悟しての決断だったのでしょう。Yesterday is history, Tomorrow is mystery, and Today is a gift. That is why we call it present.「昨日はヒストリー(過去の歴史)。明日はミステリー(未来の謎)。今日はギフト(贈り物)である。だから、今日をプレゼント(贈り物)と言うのである。」という言葉があるそうです。アリマタヤのヨセフは、そのとき、自分がやらなければならないことを思い切って行なったのです。私たちも必要以上に過去と未来にこだわることなく、一日一日、やるべきことをやっていきましょう。

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