●5月24日礼拝メッセージ(マルコ16:1~20)

 マルコの福音書最後の章、キリスト復活と宣教命令の記事からポイントを3つあげて学びましょう。      ①復活…キリスト教(聖書)の中心は十字架です。でも、復活があってこそ、十字架が意味を持ってきます。マグダラのマリヤたち3人の婦人たちは、イエス様のお体に油を塗りに行こうとして墓に行きました。それは、埋葬を、より完全なものにしようとしたのでしょうが、イエス様の体は見当たらず、青年(御使い)がそこにいて、「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」と言います。彼女たちは、非常に恐れて、墓から逃げました。その後、イエス様は、マグダラのマリヤにお姿を現し、エマオの途上でも二人の弟子たちに現われました。そうやって、先にイエス様の姿を見た彼らが他の弟子たちに主の復活を話すと、聞いた人たちは誰も信じようとはしませんでした。その後、11人の弟子がそろった食卓に姿を現されたイエス様は、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになりました。イエス・キリストの復活は、蘇生ではありません。死に支配されない永遠の体に復活しました。そのイエス様を、復活の初穂として信じる者も復活の体に与るのです。
   ②福音を宣べ伝えなさい。…15節には「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」とあります。これはイエス様の至上命令とも言われています。第一コリント15:3~4によると、福音の最も大切なこととは、キリストが、私たちの罪のために死なれ、葬られ、三日目に復活したことである、と言っています。キリストの十字架と復活は福音の中心ですが、聖書全体が福音でもあります。でも、聖書のみことばは、人を通し、その人の生きざまを通して伝わっていくものです。福音の証し人となれますように。
   ③みことばに伴うしるし(聖霊の働き)…福音を伝えるために、不可欠なのは聖霊の働きです。旧約聖書には、守るべき年三回の祭が記してあります。過ぎ越しの祭、七週の祭、仮庵の祭です。さて、それらの祭と重なるようにして、新約聖書では、イエス様の十字架と復活のイースター、ペンテコステ、クリスマスがお祝いされます。イースターとクリスマスだけではなく、やはり、ペンテコステの聖霊の働きを無視することはできません。聖霊の働きの中で最も大切なことは、罪の悔い改めと救いです。ヨハネ16:8には「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世に誤りを認めさせます。」とあり、第一コリント12:3には「聖霊によるのでなければ、誰も『イエスは主です。』と言うことはできません。」とあります。聖霊の働きを期待するためには、やはり、祈りが大切です。

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