●5月31日礼拝メッセージ(ルカ1:1~25)  

 「ザカリヤとエリサベツ」という題で、1~25節からポイントを3つあげて学んでまいりましょう。
   ①神の前に正しく…ザカリヤとエリサベツは、二人とも祭司の家系で、年を取っていました。二人とも、神の前に正しく歩んでいました。そういった彼らに、女から生まれた者の中で最も偉大な人物と言われたバプテスマのヨハネが生まれます。しかも、妻エリサベツは不妊の女でした。創世記に登場するエノクは、65才でメトシェラが生まれ、そののち300年間、神と共に歩みました。それゆえエノクは、神に取られていなくなりました。つまり、死を見ることなく天に上げられたのです。ノアの大洪水で有名なノアは、神から箱船建造を命じられたとき、彼は正しい人、全き人、神と共に歩んだ人でした。私たちの生涯においても、神の素晴らしい栄光を見たいと願うならば、エノクやノアのようにきよく、正しく、神と共に歩むことが求められます。「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることはできません。(ヘブル12:14)」 
   ②主に立ち返らせる…当時のユダヤの宗教的、霊的状態はどのようだったでしょう。BC63年からローマの支配下に陥り、それから60年ほどが過ぎ、律法学者やパリサイ人らが幅をきかせ、宗教的形骸化で、霊的に沈滞していて、人々の心を主に向けさせる必要がありました。その目的のためにバプテスマのヨハネが選ばれ、その父と母であるザカリヤとエリサベツに男の子が与えられたのです。ヨハネは、その働きをするために、ぶどう酒も強い酒も飲まず、母の胎内にいるときから聖霊に満たされていました。私たち一人一人は、実を結ぶために選ばれ召されています。人々の心を天の神様に向けさせるためにです。パウロはコロサイ1:28で「私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」と言っています。
   ③ザカリヤの疑い…聖書の中で、主がその人に現われて何かを言われたとき、それに対して、素直に「はい」と答える人と疑ってしるしを求める人の二種類の人があると言えます。士師記に登場するギデオンもしるしを求めましたが、お咎めを受けることはありませんでした。しかし、ザカリヤの場合は、しるしを求めたゆえに口がきけなくなってしまいました。この世で生活している私たちは、何でも疑わずにいるわけにはいきません。すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守り(第一テサロニケ5:21)、聖書のみことばには素直に「アーメン」と言って従ってまいりましょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です