●10.11礼拝メッセージ要旨(ルカ5:27~39) 

キリストが、取税人レビを召し出した記事、また、レビの家での宴会のとき、パリサイ人や律法学者に対してキリストが語った記事などからポイントを3つ上げて学びましょう。
①イエスに従った…この取税人レビは、マタイ9:9に出てくるマタイと同一人物のようです。このマタイは、キリストの12弟子の一人でもあり、マタイの福音書の記者です。収税所にすわっていたレビ(マタイ)ですが、イエス様の「わたしについて来なさい。」のたった一ことばで、なぜ何もかも捨て、立ち上がって従ったのでしょう。当時、ユダヤはローマ帝国の配下にあり、ユダヤ人でありながら、支配国ローマに納めるための税金を自国民から徴収するという複雑な立場に悩んでいたのではないかと推測されます。そういった苦しみの中でキリストに声を掛けられたレビは、機が熟しての決断だったのかもしれません。今日、私たちが「何もかも捨て」という部分については当てはまりにくいと思いますが、「イエス様に従う」という点については共通すると思います。私たちは、この世界の中に生かされているのですが、自分自身をどのように見ているでしょうか。案外、この世の価値観で、人と比べ、自分は、あの人よりもどうのこうのという具合に考えているのではないでしょうか。創造主であり全知全能の神は、私たち一人一人を、神の栄光の器として形づくり、期待しておられるのではないでしょうか。ですから、私たちは、人と比べるのではなく、本来の神の目的のために造られた自分自身を生きることです。そういう意味において、レビは、思い切った軌道修正をして、本来の自分の使命に従ったのです。
②罪人を招くために来られたキリスト…取税人たちだけが罪人ではなく、パリサイ人や律法学者も罪人です。ただ、取税人や罪人たちは、自分たちが罪人であることを自覚し、心砕かれ、へりくだっていたのです。主は心砕かれへりくだった人とともに住みます(イザヤ57:15)。また、主はへりくだる者に恵みをお授けになります(ヤコブ4:6)。但し、罪人を招くために来たキリストは、罪そのものを喜ぶということはありません。やはり、罪は犯さない方がよいのです。主を恐れ、主の前にへりくだり、主のみこころを求めて生きるべきです。
③新しい皮袋…新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるとは、イエス様に従っていこうとするとき、イエス様にふさわしい新しい生活習慣を身に付けることです。例えば、偶像礼拝を止めることなしにキリスト信仰はできません。天の神様のご性質にふさわしい生き方を私たちは求められています。神がくださる賜物は力と愛と慎みの霊です(第二テモテ1:7)。また、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(ガラテヤ5:22~23)。特にイエス様の十字架の愛を覚え、互いに愛し合い、また、愛によって人々に福音を届けましょう。

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