●1月10日礼拝メッセージ要旨(ルカ8:16~25)  

 ルカ8:16~25の、あかりのたとえ、イエス様の家族、嵐を静めた記事、その三つから、ポイントを三つあげて学びましょう。
  ①あかりとみことば…電灯などの灯りは、たいてい目立つところ、高い所に置くものです。同じように、聖書のみことばも隅っこにおいて隠しておくものではなく、人々の前に明らかにされるべきものです。ところがどうでしょう。この世においては、滅びて無くなってしまうような無意味なものを大事にし、聖書のことばを疎かにするという傾向があります。私たちは、いつまでも残るもの、真に価値あることのために心血を注ぐ者となりましょう。ヨハネ6:27で、イエス様は「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。~」と言われております。
   ②イエス様の家族…イエス様はおよそ30歳のころ公に人々の前に姿を現されました。その頃、家族は、母マリヤと兄弟ヤコブ、ヨセフ、シモンと妹たちもいました。大勢の群集に囲まれているイエス様のところに、その家族たちがやってくると、人々が、「あなたのお母さんと兄弟たちがあなたに会おうとして外に立っています。」と言うと、イエス様は「わたしの母、わたしの兄弟たちとは神のことばを聞いて行なう人たちです。」と言われました。今年、私は年賀状を何十枚か出しましたが、うっかり自分の住所の番地を間違えてしまいました。11-8とすべきところを8-11として出したのです。早速、その間違えた住所で返信した人には迷惑をお掛けしてしまいました。郵便は正しい住所で出せば、きちんと先方に行きます。まして、聖書のみことばも、その通り行なえば、きちんと結果に現われ、祝福の実を結ぶのです。
   ③信仰はどこにあるのか…舟の上で嵐を恐れ、弟子たちは、眠っているイエス様に助けを求めました。するとイエス様は嵐を静めてから「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われました。私たちの人生、順風満帆で何の問題もない、なんてことはありません。誰であれ、みんながそれぞれ問題をもっているのです。最近読んだ本に「私たちは問題のない人生を欲するものですが、何も問題がなければ、退屈で死んでしまうでしょう。問題解決や、困難を乗り越えることに取り組む中でこそ、神の望んでおられるような人になれるのです。」とありました。確かに、様々な問題の中に、神の不思議なみわざを体験するものです。正に、すべてのことが益となり、マイナスが却ってプラスになるものです。ですから、私たちは問題こそ人を成長させ、神の栄光が現われるときであること信じ、祈りつつ、主に期待してまいりましょう。

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