●7月17日礼拝メッセージ要旨(ルカ13:18~30)

   「神の国について」という題でポイントを三つ上げて学びましょう。
   ①神の国はからし種のようなもの…マタイ13:31~32には、「神の国」ではなく、「天の御国」はからし種やパン種のようなものである、とあります。神の国は天の御国にあるのですから、やがて、キリストにある者が天の御国に入ったときに、最初は小さいけれども、やがて大きくなるということが正に成就されるということでしょう。もう一つは、神の国は、キリストを信じ受け入れる人の心の中にある者ですから、この地上において、最初は小さく見えても、やがて実を結び、誰の目にも大きな存在として証しされるということです。有名な宮沢賢治氏の「雨ニモマケズ風ニモマケズ~」という詩はキリスト者の斎藤宗次郎氏をモデルにして作られたものであると言われています。キリスト教を耶蘇(ヤソ)教と言っていた時代に洗礼を受けた斎藤宗次郎氏は、受洗直後から厳しい迫害を受けます。それでもキリストに忠実に仕え続け、やがて、花巻を去り東京へ引っ越ししようと駅に着くと、町中の人が斎藤氏を見送りに来たというのです。キリストにある者は、この世において、最初は小さく見えても後の日には誰よりも大きく実を結ぶのです。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。
   ②努力して狭い門から入りなさい。…聖書で言う「救い」を得るためには、何の努力も難行苦行も必要ありません。ただキリストを信じるだけ、恵みによって得られるのです。しかし、ここで「努力して」とはどういうことでしょう。一流のスポーツ選手らは試合で良い結果を出すために日々自分の体を鍛えておりますが、キリスト者も後の日に備えて、日々、自分自身を鍛錬する必要があります。聖日の礼拝はもちろん、諸集会、そして聖書通読と祈りです。特に、注意しなければならないのは、霊的惑わしです。マタイ24:24には「にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」とあり、第二テサロニケ2:11には「それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。」とあって、常に聖書に親しみ、聖書の真理を悟っていない人は、簡単に偽りに惑わされてしまい、本来の信仰も失ってしまうでしょう。ですから、そういう意味において、日々、努力して自分自身を霊的、信仰的に鍛錬する必要があるのです。
   ③あとの者が先になる…私(筆者)は、1976年6月6日に洗礼(バプテスマ)を受け、今年で満40周年となりました。信仰生活40年を過ごす中で、多くのキリスト者に出会い、その信仰生活を見聞きしているのですが、「あとの者が先になる」ということばは正に真実です。何年も何十年も信仰生活を送っている人よりも、受洗後、間もない人が誰よりも信仰熱心だったりするものです。もちろん、人それぞれ、賜物や召しがあり、大抵、牧師や伝道者に召されている人は熱心です。いずれにしましても、キリスト信仰に対して冷めていてよいはずはありません。何はともあれ、神の国を求めて(ルカ12:31)まいりましょう。

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