●7月10日礼拝メッセージ要旨(ルカ13:1~17)

   「ぶどう園の番人」という題でポイントを三つ上げて学びましょう。
   ①災難の原因…何か災難を被ったとき、おもに自分に対してですが「心掛けが悪かったから」などと言うことがあります。因果応報、悪い原因があるから悪い報いを受けるという万国共通の考え方です。しかし、キリストは、「そうではない。わたしは、あなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」と言われました。大事なことは「悔い改める」ことです。ギリシャ語原語で悔い改めるはメタノイアです。元の意味は心を変える、方向転換をすることです。今、私たちはどこに向かって生きているでしょうか。もし、滅びに向かっているとしたら、直ちにイエス様を心に迎え入れ、永遠の神の国に向きを変えなければなりません。
   ②ぶどう園の番人…ある人がぶどう園にいちじくの木を植えて、実を取りに来たのですが、実が成っていないので、「切り倒せ」と命じました。しかし、ぶどう園の番人は、「もう一年待ってください。木の回りを掘って肥しをやってみます。それでも駄目なら切り倒してください。」と言いました。このたとえは何を意味しているのでしょう。神のあわれみではないでしょうか。第二ペテロ3:9には「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とあります。真の神は憐み深く忍耐深い方です。私たちも、その神の性質をいただいて憐み深く忍耐強くありたいものです。
   ③安息日に病をいやす…キリストが安息日に会堂で、腰の曲がった女性の病をいやされます。すると会堂管理者は、「安息日にいやしてはいけない。」と言います。するとキリストは、「偽善者たち。あなたがたは安息日に牛やろばに水を飲ませるではないか。安息日だからと言って、サタンの束縛を解いてはいけないのか。」と言われました。元々、安息日は人のためにあります。また、神のみこころは、私たちが健やかであることです。ですから、私たちは、時々、病の人がいたら、その人の回復の為にお祈りするとよいでしょう。一方で、各自、自分の健康管理も必要です。適度な運動、睡眠、栄養、健全な生活を心掛けましょう。そうかと言って、私たちは、この地上に永久に留まるわけではありません。やはり限界があります。しかし、第二コリント5:1には「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。」とあります。さらに、第二コリント4:16には「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」とありますから、無駄(?)な若返りなどはほどほどにして、内なる人は日々新たにされているのですから、そちらの方に目を留めて、益々、希望と喜びをもって過ごしましょう。

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