●8月7日礼拝メッセージ要旨(ルカ14:25~35)

   「キリストの弟子となる」という題でポイントを3つ上げて学 びましょう。
   ①家族愛と自己愛…大勢の群集がキリストと一緒に歩いてついてきたので、キリストは彼らに対して、安易な気持ちで自分についてくることを戒めたのでしょう。26節では、家族と自分を憎まない者はキリストの弟子になることはできないと言われました。もちろん、自分と家族を憎んで良いはずがありません。第一テモテ5:8には「家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって不信者よりも悪い」とあります。つまり、キリストの弟子となるためには、自分や家族よりも、まずキリストを第一としなければならないということです。なぜなら、そもそもこの世界はキリストによって創造され、私たち一人一人もキリストによって形造られ、生かされているのです。キリスト信仰により、やがて天の永遠のいのちに入らせていただくならば、そこは、「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。(詩篇73:25)」とある通り、キリスト一色の世界です。であるならば、私たちは、この地上での生活から天に照準を合わせていく必要があります。天国に照準を合わせた生活とは「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22~23)」ではないでしょうか。自分も大事、家族も大事です。でも、キリストの弟子はイエス・キリストを第一とします。
   ②キリストに従う…28~30節に、塔の建設について語られています。当教会の建物についても言えますが、やはり、完成の見通しがないと建て始めることはできません。キリストの弟子として信仰を全うしていくためには、その覚悟が必要です。33節には、「自分の財産全部を捨てないでは、キリストの弟子になれない」とありますが、財産にしがみついてはいけないということです。財産を持っている人は、それを神の栄光の為によく管理して用いればよいのです。
   ③塩気を失ってはならない…今年はキリスト以後(AD)2016年、人類最初の人アダムが生まれたのはキリスト以前(BC)4000年頃で、人間の歴史はほぼ6000年です。ヘブル4:1~4の「七日目の神の安息」、第二ペテロ3:8の「一日は千年、千年は一日」という記事から勘案して、今の時は終末時代と言ってよいでしょう。終末時代に起こることとしてキリストは「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」と言われました。確かに、科学は進歩しても、不法は無くなるどころか益々酷くなっています。そこで私たちは「だから仕方ない」と思ってはいけません。地の塩となって、この世の腐敗を防止し、それだけに止まらず、福音を証しし、世を変えて行くんだという気構えを持って過ごしましょう。

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