●8月21日礼拝メッセージ要旨(ルカ15:11~32)

8月21日礼拝メッセージ要旨(ルカ15:11~32)

   「父親と二人の息子」という題でポイントを三つあげて学びましょう。
   ①我に返った放蕩息子…父親から財産の分け前をもらって遠い国へ旅立った弟息子は、もらった財産を湯水のように使い果たして文無しになりました。そのときちょうど大ききんが起こり、食べるにも困った弟息子は、ある人のところへ身を寄せると、その人は彼に豚の世話をさせました。弟息子は空腹で、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思いましたが、誰一人彼に与えようとしませんでした。みじめな状況の中で我に返った弟息子は、父親の所に帰り、謝ろうと思いました。彼は、自分の置かれた状況を冷静に見つめ直しました。そして、今、自分が何をすべきかを考え、実に的確な判断と行動をしたのです。私たちも、今、置かれたところで、自分自身を自己分析し、自分の状態を正しく把握して、自分が今後どこへ向きを進めていくべきかを正しく判断しましょう。
   ②父親の愛…放蕩息子が家に帰ると、父親は、彼がまだ家に着かないうちに走り寄って迎え、着物を着せ、指輪をはめさせ、靴をはかせます。息子が「私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。」と言うと、父親は、彼を一言も責めることなく、宴会の用意をさせます。神の愛は赦しの愛です。イエス様は十字架の上で、「「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)」と祈られました。また、「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。(詩篇86:5)」とあるように、主は赦しに富む方です。私たちも、その主に赦された者とされ、今度は人々に対して、赦しに富む者となりたいです。
   ③兄息子を説得する父親…兄息子は、畑から家に帰ってくると、宴会で家が賑やかなのを知り、雇人に「これはいったい何事か?」と尋ねると、弟が帰ったので父親が喜んでお祝いしているということを聞き、怒って家にも入りません。(この聖書の箇所の文脈から、この兄息子はパリサイ人、律法学者たちのことであり、弟息子は取税人や罪人のことでもあります。)それを知った父親は、兄息子を懸命に説得します。兄息子が、父親の言う事を素直に聞いたかどうか聖書には記されていませんが、この兄の姿は、案外、私たちが嫉妬心のような感情を持つとき、同じような状況に立たされるのではないでしょうか。そういったとき、自分の感情に従って怒るか、それとも、聖書のことば「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。(ローマ12:15)」のような行動をとるか、です。もちろん、私たちは、砕かれて、みことばに従い、祝福を受ける者となりましょう。

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