●9月4日礼拝メッセージ要旨(ルカ16:1~13)

   「小さなことに忠実な人」という題で、ポイントを三つあげて学びましょう。
   ①不正な管理人から学ぶべきこと…そもそも、不正を働く管理人から何を学ぶのかと思ってしまいますが、この不正な管理人は、元々、主人の財産を乱費し、その上、さらに不正を重ねてまで、次の自分が働く場所の備えをしたのです。それほどまでして、自分のために備える不正な管理人を、主人は褒めました。このたとえ話で、キリストは何を私たちに言わんとしているのでしょうか。不正な管理人が自分のために、あの手この手で必死になって自分の後の日ために備えたように、私たちも次の世である永遠の住まいに入るための備えを全力を尽くしてしなければなりません。
   ②小さい事に忠実な人…永遠の住まいの備えをしたら、今度は、それぞれに与えられた使命を全うするために、目の前にある小さな事をコツコツと続けることです。創世記にはヤコブの息子でヨセフという人が登場します。ヨセフは、エジプトに奴隷として売られましたが、売られた先の主人ポティファルに忠実に仕えました。すると、やがてヨセフはポティファルの家の管理人となりました。ところが、ヨセフは何も悪い事をしなかったのに、ポティファルの妻に濡れ衣を着せられ、牢に入れられてしまいます。ヨセフは、牢の中でも誠実でした。やがて、ヨセフは囚人の身でありながら、囚人全体の管理人となりました。そして、あることによって牢を出たときに、ヨセフはエジプトでパロ王の次の権威を持つ、実質、総理大臣のような位に抜擢されたのです。私たちも、今、与えられたその所で、心を込めて忠実に仕えましょう。時には自分の思うとおりにならないことがあるかもしれません。しかし、真の神を信じる者にとっては全てのことが益になる(ローマ8:28)と信じて前を向いてまいりましょう。 
   ③二人の主人に仕えることはできない。…天地を創造した真の神に仕えるか、それとも富に仕えるか。もちろん、大富豪でありながら神に仕えている人もいることでしょう。問題は、神のしもべとなっても、富の奴隷にはならず、神に仕えながらも、富は上手に管理しているということでしょう。第一コリント15:45には「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった。』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」とあります。最後のアダムとはイエス・キリストです。神に仕えるとは、神の働きをすることです。生かす御霊であるイエス・キリストの聖霊様とともに、滅びに向かっている人を探して救い出す働きに参画することです。私たちの人生、「ただ生きている」だけではなく、与える人生、神に仕える人生でありたいと思います。「受けるよりも与えるほうが幸い(使徒20:35)」とあります。神に仕え、与える生き方が祝福を受ける道です。

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