●5月7日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ3:16~21)
ヨハネ3:16~21から、「神は世を愛された」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
①ヨハネ3:16…ヨハネ3章16節は、聖書全体を要約したみことばであると言われ、聖書の中で最も有名な一節であると言えるでしょう。「神は世を愛された」とありますが、神はどのように私たち人間を愛されたでしょうか。それは、その人が永遠のいのちを持つことができるように、そして、そのために神のひとり子イエス・キリストをお与えになりました。私たちが、その神の愛をもって人を愛するというとき、その人が滅びることなく永遠のいのちを持つことができるように、そのために何が出来るかを考えて行動するということが、本当にその人を愛するということではないでしょうか。
②信じない者はすでにさばかれている…この世においては、小さな事から大きな事まで、得をしたり損をしたりということがあって、私たちは、その損得勘定をしながら、日々の生活をしています。しかし、やがて、全ての人はその地上の生活を終え、神の前に出るときが来ます。永遠のいのちか滅びかということです。それは、この世の最も大きな損得勘定を遥かに超える非常に大きな問題です。神は、私たち人間を愛し、私たちが滅びることなく永遠のいのちに入ることができるように、御子イエス・キリストをお与えになりました。永遠のいのち、それは、黙示録22:1~2によると、水晶のように光るいのちの水の川が流れ、両岸にはいのちの木があるところです。一方、黙示録20:15には「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」とあります。いのちの木がある場所か、それとも火の池か、ということです。つまり、神が与えてくださった永遠のいのちを拒むということは、神を否定することであって、その神に既にさばかれているということでもあります。
③光の方に来るか否か…ローマ1:28には「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」とあります。私たちは、その心をどこに向けているでしょうか。光の方でしょうか闇の方でしょうか。キリストはヨハネ8:12で「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と言われました。教会はキリストのからだであり、イエス様が聖霊によってご臨在されるところです。教会に集まること、光のほうに心を向けて、永遠への備えをしていましょう。