●9月24日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ8:43~59)

ヨハネ8:43~59より「わたしはいるのです」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
①神から出た者と悪魔から出た者…キリストはユダヤ人たちに「自分は神から出た者であるが、あなたがたは悪魔から出た者である」と、そういう意味のことを言われます。実は、そのユダヤ人だけではなく、今日、私たち人間は、アダムとエバの子孫として、罪の性質を受け継いで、この世に生かされています。一般的に、多くの人が持っている感覚からすれば、生まれたばかりの赤ちゃんのときは罪も汚れもないと思われますが、そうではなく、しっかりと罪の性質を受け継いで生まれています。なぜなら、幼子を躾もせず放置していたら、成長するに従って、取り返しがつかなくなってしまうでしょう。罪と悪魔とは表裏一体の関係にあると言ってよいでしょう。罪を行なっている者は罪の奴隷であり、同時にその人は悪魔の支配下にあるのです。エペソ2:1~2には「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」とあります。憎しみ、敵意、虚無感、恐れ、死の恐怖等々は悪魔の支配下にある人が持っているものではないでしょうか。イエス・キリストは、悪魔の支配から真の神のもとに私たちを立ち返らせるために十字架による救いを完成されました。イエスの名を呼び求め、解放と救いを得ようではありませんか。主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる(ローマ10:13)のですから。
②わたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることはありません…私たちが悪魔の支配から脱し、真の神の支配に移されて、神のことばに従う歩みを始めるならば、たとい、肉体は衰えても、永遠のいのちが約束されています。永遠のいのち、天の御国は私たちの想像をはるかに超える大いなる祝福の場所でしょう。そこに入れるか否かでは、あまりに大きな違いがあります。私たちは、その天の御国を目標として、日々の歩みを進めてまいりましょう。
③アブラハムが生まれる前からわたしはいるのです…アブラハムは紀元前(BC)2300年頃の人です。イエス・キリストは、世界史の起源になっている方であり、このときは紀元(AD)30年頃です。しかし、箴言8:22~31、また、コロサイ1:17を見ますと、キリストは、天地創造の前から、父なる神とともにおられて、この世界の創造に携わっておられたのです。エジプトに遣わされたモーセが、ミデヤンの地にいたとき、ホレブの山で、自分を遣わされる方の名を尋ねると「わたしは『わたしはある』というものである」と答えられました。つまり、永遠から永遠に存在される方が共におられるならば、私たちは何も恐れることはありません。その神が共におられるために、私たちは、御前に心砕かれ、へりくだり、神を求める者となりましょう。(イザヤ57:15)。

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