●12月24日礼拝メッセージ要旨

   「地の上に平和があるように」という題で、クリスマスについてのお話しをします。
   ①そもそもクリスマスとは…もう長きにわたって日本の文化として定着したクリスマスですが、本来のクリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う行事です。
   ②そのイエス・キリストとは…宇宙の創造主のひとり子として、この世界が創造される前から存在され、今から2017年前に人の姿となって降誕されました。世界史はこのキリスト降誕時を基準として、BC(キリスト以前)、AD(主の年)としています。
   ③どのような状況の中でキリストは降誕されたのか…ヨセフとマリヤが住民登録のため、旅の途中で、ベツレヘムの家畜小屋でキリストは産声を上げました。キリストは、生まれた時も貧しかったのですが、人としての生涯は、貧しさの連続でした。それは第二コリント8:9に「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」とあるように、キリストを信じる者が富む者となるためでした。また、飼い葉おけに寝ているみどり子は、御使いから知らせを受けた羊飼いたちのためのしるしとなりました。
   ④どんなにすばらしい喜びなのか…キリストは、信じる者に救い主として、永遠のいのちを与えるために来られました。永遠のいのち、それは、満ち満ちた豊かさ、活き活きとした命、そして平和が満ち溢れている場所です。それが永遠に続くのですから、想像することは困難です。もし、想像できたとしても、その想像をはるかに超えるものでしょう。
   ⑤永遠のいのち、天国に入る条件…永遠のいのち、天国は聖なる場所であり、そこに入るためには、聖なる人、義人、正しい人でなければなりません。そんなことを言ったら、誰も天国に入ることはできません。天の神様は、自分を正しいとする人ではなく、自分の誤りを認め、心砕かれ、へりくだる人を喜ばれます。
   ⑥十字架による救い…救い主として来られたキリストは、私たちを何から、どのようにして救うのでしょう。詩篇145:9に「主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。」とあります。真の主は私たちに多くの恵みを注いでくださっています。しかし、人間は、その方を無視し、自力で生きていると思い違いをしています。それがそもそもの罪であり、神の審判を免れることはできません。しかし、キリストは、十字架で犠牲となり、信じる者に救いの道を開いてくださっているのです。
   ⑦その人の心に平和が与えられる…ヘブル語のシャロームとは「平和」という意味です。人と人、国と国との平和も大切ですが、一番必要なシャローム(平和)は、私たち一人一人の心の平和です。イエス・キリストを信じ、その名を呼び求める者には、他のものでは決して得ることのできない心の平和、たましいの安らぎが与えられるのです。

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