「神の選びと任命」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
①友について…13節には「人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていない」とあります。キリストは、2000年ほど前に、私たち罪人のために、十字架でいのちを捨ててくださいました。正に、キリストの側から、私たちの友となってくださったのです。ヨハネ15:14では、今度は私たちが、キリストの友となる番です。それは、キリストが命じることを行なうならば、キリストの友となるのです。創世記18章で、アブラハムのところに神の人3名が訪れました。その人たちは、ソドムとゴモラが神のさばきによって滅ぼされてしまうということを事前にアブラハムに告げました。すると、アブラハムは懸命に、ソドム・ゴモラが滅ぼされないようにと、その人たちに懇願します。しかし、アブラハムの懇願も空しく、それ以上にその町の罪は大きかったのです。「神の友」、それは、神の御思いと自分の思いを共有することです。主は、その心がご自分と一つになっている人々に御力を現わして下さるのです(第一歴代誌16:9a)。
②選びについて…現在、世界の人口は約74億人です。そのうち、一般的な統計で発表されている宗教者人口は、キリスト教33.4%、イスラム教22.2%、ヒンズー教13.5%、仏教5.7%です。どの宗教にも共通して言えることだと思いますが、特にキリスト教の場合、本気で信仰を持っている人となると、数字はかなり限定されたものとなるでしょう。日本人口は約1億2千700万人ですが、そのうちクリスチャン人口はどれほどでしょうか。実際的には多く見積もっても50万人くらいでしょうか。0.4%、つまり、1000人に4人です。キリストは弟子たちに「あなたがたが私を選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだ」と言われましたが、毎週教会に集う私たちは、キリストに選ばれているのです。それは、実を結ぶためという目的をもって選ばれています。少なくとも、私たちそれぞれには、家族、親族、友人などの独自の人脈があります。その繋がりのある人々のために祈り、執り成し、福音を伝えるための使命があるのです。
③世との分離について…19節には「世はあなたがたを憎むでしょう」とあります。罪の無い神の御子キリストご自身も、結局、この世の権力者たちに憎まれ、十字架で殺されました。初代教会の7人の執事の一人ステパノは信仰と聖霊に満ちた人でしたが、ユダヤ人議会に引っ張って行かれ、議会でキリストについて証しすると、町の外に追い出されて石で打ち殺されてしまうのです。今日も、イエス・キリストの福音を真っ直ぐ宣べ伝えたり、クリスチャンとしての立場をはっきりさせると、反感を買うことが多いのです。でも、私たちは、世の人々の救いのために、この世と平和を保ちながらも、霊的には世と分離していなければなりません。