ヨハネ17:14~26から「彼らが一つであるため」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
①真理によって彼らを聖め別ってください…当時、キリストと共にいた弟子たちが、キリストの語ることばを信じて、さらにキリストに従って行くのですが、そういう彼ら弟子たちに対して、キリストは「真理によって彼らを聖め別ってください」と祈っています。あるとき、キリストが弟子たちに「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか」と質問したとき、ペテロは「あなたは生ける神の御子キリストです」と答えました。するとキリストは「あなたは幸いです。あなたにこのことを示したのは人間ではなく天にいますわたしの父です。」と言われました。今日、キリストのからだである教会に集うクリスチャンも、ペテロと同じように天の父の主権の下で、キリストを主と告白することが出来ているのです。別の表現では、神に選ばれているとも言えるのですが、選ばれた者として、この世に埋没しないがためには、さらに聖別される必要があります。そのためには、真理である聖書のみことばによって力づけられ、整えられ、そして世に遣わされるのです。キリスト教的な知識を多く知ることも益となるでしょうが、それよりも、生きた聖書のことばを心に蓄えるということが最も大事なことです。
②彼らがみな一つとなるため…天の父とキリストが一つであるように、教会はキリストにあって一つであることが求められます。エペソ4:2~3には「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」とあります。一致のためには互いに謙遜と柔和をもって仕え合うことです。ここで、「一つになる」ということは、皆が「同じになるということではない」ということを確認しておきましょう。同じタイプの人ばかりが集って、違うタイプの人を排除するというようなことがあってはなりません。このことは第一コリント12章で説明されています。それぞれに与えられている異なった賜物や性格が互いに機能して、キリストのからだが建て上げられていくのです。
③わたしの栄光を彼らが見るようになるため…毎日の平凡な生活を地道に続けて行くということも大切なことですが、キリスト者として歩んで行くとき、時にはキリストの栄光を拝させていただくということも、その人にとって大いなる励ましとなり、信仰が強められて行くものです。先日、金曜日の祈祷会で、ある方の体調の不具合のために祈りました。すると、その方は不思議に回復しました。その証しを聞いてのことですが、実は、筆者自身、ここ一か月ほど左側の股関節が、ある動き方によって痛みました。やはり金曜日の祈祷会で参加者に祈ってもらいました。すると、全く完治したわけではありませんが、ビビッとくる嫌な(いやーな)痛みが無くなったのです。ハレルヤ!「 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。(第一コリント10:31)」