●6月10日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ19:31~42)

   ヨハネ19:31~42から「その証しは真実である」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
   ①そのすねを折らなかった…キリストと共に十字架につけられていた二人の犯罪人のすねは折られました。しかし、キリストは既に死なれていて、すねを折られませんでした。それは、聖書のことば(詩篇34:20)が成就するためでした。もう一つ大きな意味があります。かつて、イスラエル人がエジプトの奴隷から解放されようとするとき、エジプト全土に神の怒りが襲いました。エジプト人の全ての家の初子は死にました。しかし、その時、一歳の雄羊か雄山羊の血を二本の柱と鴨居に塗ったイスラエルの家は、神の怒りが過ぎ越し、それゆえにイスラエル人は解放されました。その時、ほふった羊と山羊の骨は折らなかったのです。つまり、キリストの十字架は、信じる者を神の怒りから免れさせる救いとなったのです。第一コリント1:18には「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」とあります。
   ②槍で突き刺した…キリストのすねは折られませんでしたが、兵士の一人がキリストの脇腹を槍で突き刺すと、血と水が出てきました。第一ヨハネ5:6で「このイエス・キリストは水と血によって来られた方です」と言っています。この水と血が何を意味するのか諸説がありますが、ヨハネはキリストが人として来られた神御自身であるということを伝えようとしているのでしょうか。彼は、間近でキリストの十字架を目撃し、それを証ししているのです。さて、ゼカリヤ書12:10には「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」とあります。やがて起こるキリスト再臨のとき、ユダヤ人たちはイエス・キリストを見て悔い改めるのです。
   ③ヨセフとニコデモ…アリマタヤのヨセフは議員で金持ちであり、新しい墓を所有していました。このとき、思い切って、キリストの体の下げ渡しをピラトに願ったのです。ヨハネ3章で夜こっそりキリストを尋ねたニコデモも、没薬とアロエを混ぜたものを30㎏ほど持ってやってきました。ヨセフとニコデモは共に、キリストに対する関わりを公に表わしました。マタイ10:32には「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」とあります。私たちも、人の前で、大胆にイエス・キリストを信じる信仰を証ししようではありませんか。

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