●9月2日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き2:37~47)

   「弟子に加えられる」という題でポイントを三つあげます。
   ①どうしたらよいでしょう…ペテロの説教で心を刺されたユダヤ人たちは「私たちはどうすればよいでしょうか。」と言いました。使徒16章の記事によりますと、パウロとシラスはピリピで、占い師の女から霊を追い出したゆえに女の主人たちに訴えられて、牢に入れられてしまいます。しかし、二人は牢の中で祈りつつ賛美していると、突然、大地震が起こり、牢の扉は開き、囚人たちの鎖は解けてしまいました。自分の責任を追及されると思った看守は自害しようとしました。するとパウロは「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と言うと、看守は「先生方。救われるには何をしなければいけませんか。」と問いかけます。ペテロの説教を聞いたユダヤ人たちも、ピリピの看守も、共に「どうしたらよいでしょう」と言っています。彼らは、心砕かれ、真の神の前に、救いを求めて言葉を発したのです。誰であれ、私たちは神の前に砕かれ、「自分はどうしたらよいでしょう」と、聖書のみことばと祈りを通して、主に聞き、主の導かれる道を進みましょう。
   ②理想的なクリスチャン生活…ペテロの説教のあと、その日、3000人ほどが弟子に加えられました。彼らは、使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていました。「教えを守る」とは無数にあるでしょうから、日本に生きる私たちクリスチャンが特に心に留めておきたい堅く守るべきことは二つに絞りましょう。それは第一に、清く生きること。第二は、偶像礼拝をしないことです。クリスチャンの体は聖霊の宮です。酩酊や不品行によって聖霊の宮を汚してはなりません。また、創造主である真の神が最も忌み嫌われる偶像礼拝ときっぱり縁を断ち切らなくては永遠の祝福を受けることはできません。「交わり」はギリシャ語原語ではコイノニアと言い、互いに協力し合うという意味も含んでいるようです。とにかく、クリスチャン同士、キリストにある霊的な交わりを保ちましょう。そして、パン裂きとは聖餐式です。キリストの十字架を常に思い、祈りに励みましょう。
   ③理想的な教会…②のように理想的なクリスチャン生活が行なわれ、教会全体に、恐れ、つまり、真の神に対する深い畏敬の念が生じ、使徒たちによって多くのしるしと不思議が行なわれました。今日、私たちの教会もこのようであるべきですが、一人一人がみことばと祈りに励み、エペソ4:13のように「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」という状態に引き上げられるならば、不可能なことではありません。個人個人がキリストに似た者とされることを求め、聖霊の臨在溢れる教会として、地域を照らす灯台のような存在となれますように。

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