●3月24日礼拝メッセージより(使徒の働き12:18~25)

●使徒の働き12章の前半では、牢に入れられていたペテロが主の使いによって、奇跡的に脱出することができました。朝になると、厳重に監視していたはずのペテロがいないわけですから、兵士たちの間で大騒ぎとなりました。ヘロデ王としては、担当の兵士がわざとペテロを逃がしたとして番兵たちを処刑しました。そのあと、ヘロデはカイザリヤに行って滞在します。元々は、過ぎ越しの祭の後、大勢の人が集まっているところにペテロを引き出して処刑しようとしていたヘロデですが、その計画は失敗し、兵士たちに責任を負わせて、自分はさっさと保養しに行ったのでしょうか。しかし、ヘロデの目前には死が迫っていました。箴言24:19には「悪い者には良い終わりがなく、悪者のともしびは消えるから。」とあります。主はすべてをご存じであり、正しい裁きをされるのです。
●カイザリヤから北方で、地中海沿岸にあるツロとシドンの人々は、ヘロデ王が治める地域から食料を得ていました。しかし、ヘロデ王が彼らに対して強い敵意を抱いていたので、ツロとシドンの人々は、王の侍従長プラストに取り入って和解を求めました。それで、日を改めて、和解の記念式典のようなことを催したのです。ヘロデ王が王服を身に付け王座に着いて演説を始めると、人々は「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けます。つまり、ご機嫌取りもあったのでしょう。神に栄光を帰すことをしないヘロデは虫にかまれて息が絶えました。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」と、また同27:21には「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。」とあります。私たちは、いつも真の神の前に謙遜に、たとい人に褒められても神に栄光を帰す者でありましょう。晩年のダビデ王は第一歴代誌29:14で「まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。」と告白しています。それゆえダビデは長寿に恵まれ、富も誉れも満ち満ちて世を去りました。
●24節には「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。」とあります。一方で、この世の国の王ヘロデが死に、もう一方で主のみことばが盛んになり広まって行ったのです。神の国が拡大していくことはなんと素晴らしいことでしょう。「主の祈り」の初めのほうで「御国が来ますように」とあります。天の御国がこの世に到来するとは、イエス・キリストの福音が伝えられ、魂が救われ、教会が建て上げられていくことです。私たちは神の国の拡大のためにキリストを自分の主として、主の証人として、キリストの香りを放つ者となりましょう。

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