●5月12日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き14:19~28)

  「宣教報告」という題でポイントを3つあげます。
  ①信仰の戦い…パウロが生まれつき足の効かない人を歩かせたことにより、パウロとバルナバがルステラの人々に神々だと思われ、二人は懸命にそれを止めさせました。ホッとしたのも束の間、今度はアンテオケとイコニウムからユダヤ人たちが来て、群集を抱き込み、パウロを石打ちにしました。一方で神々と崇められたと思ったら、今度は石打ちです。正に急転直下です。パウロはこの時の体験を含め、第二コリント11:23~27で多くの苦しみ、困難を受けたことを語っています。このことはパウロが信仰の戦いを戦い抜いてきたことの証しでもあります。今日、私たちは特に偶像礼拝と妥協しないように、むしろ、戦っていかねばなりません。第二次世界大戦のさなか、キリスト教会も国家神道による偶像礼拝強要の嵐を受けました。その時妥協した教会と戦った教会があります。戦った教会は、今、その霊的ないのちを受け継ぎ祝福されています。第二テモテ3:12に「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあります。罪と偶像礼拝とに妥協せずに戦うクリスチャンを主は求めておられます。
  ②長老の任命…このときのパウロたちの宣教旅行はマラソンコースのようにデルベを折り返し地点として、ルステラ、イコニオム、アンテオケと引き返し、それぞれの地で教会ごとに長老たちを任命しました。ここで長老とは今の牧師のような存在です。つまり、彼らは教会の形を整え、そこに集っている信徒たちが信仰的な成長ができるようにしたのです。本日は母の日ですが、母親は、生まれた赤ちゃんの成長を願って、愛情を注いで育てます。パウロたちは、イエス・キリストを信じて救いを受けた魂への心配りをおろそかにしませんでした。
  ③宣教報告…パウロとバルナバは、その宣教旅行の元々の出発地点のアンテオケに帰りました。そして、教会の人々を集めて宣教報告会を催しました。キプロス、小アジアで多くの人が救われ教会が建て上げられ、厳しい迫害もありました。なんという実り豊かな宣教旅行だったことでしょうか。近代、現代における宣教活動は、パウロたちのような劇的なものではないかもしれませんが、今日まで世界中で多くの実を結び続けられています。この宣教報告会のことをdeputation(デピュテーション)と言っていますが、代理者という意味です。すなわち、自分たちは世界宣教に行けなくても、自分たちの代理者となって、宣教師がそこに行く。だから、送り出す人は、彼らの為に祈り、サポートするのです。27節には「異邦人に信仰の門を開いてくださった」とあります。その地に教会が建て上げられるということは非常に大きなことです。当教会もこの地に建てられ、信仰の門が開かれています。今後、この門をくぐり、いのちの書に名が記される人が増し加えられますように。

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