●5月5日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き14:1~18)

   「皆同じ人間」という題でポイントを3つあげます。
   ①イコニオムにて…小アジア、ピシデアのアンテオケで迫害を受けたパウロとバルナバはイコニオムに行って宣教しました。すると、大勢のユダヤ人とギリシャ人が信仰に入りました。しかし、一方で信じようとしないユダヤ人がいて、異邦人たちをそそのかし、二人に悪意を抱かせようとしました。それでも、パウロたちは、そこに長らく滞在し、主によって大胆に語り、しるしと不思議を行ないました。ところが町の人々は信じる者と反対派の二派に分かれ、反対派は二人を石打にしようと企てました。二人はそれを知って、ルステラとデルベなどに行き、福音宣教を続けました。ここで、私たちが心に留めておきたいのは福音宣教を実行するとき、信じる者もいる反面、反対する者たちもいるということです。ルカ12:51でキリストは、「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。」と言っておられます。もちろん、キリストは私たちに真の平和を与えるために世に来られましたが、キリストを信じる者は、暗やみから光に、サタンの支配から神の支配に移され、それに対して依然としてサタンの支配下にある人々から、敵対視されるからです。私たちは、そういった霊的な法則を前もって理解していると、驚いたり困惑したりすることはありません。
   ②皆同じ人間…ルステラでの出来事です。パウロが語っていると、うまれつき足のきかない人が、パウロの語ることに耳を傾けていました。パウロが、この人に目を留め、いやされる信仰があると見て、大声で「自分の足でまっすぐ立ちなさい。」と言うと、彼は立ち上がり歩き出しました。すると、それを見た群集がパウロたちを神々だとして、いけにえをささげようとしました。二人は衣を裂いて「皆さん。どうして、こんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。」と叫びました。言うまでもなく、人間は人間以下でも以上でもありません。我が国・日本など、偶像礼拝の慣習の強い国々では、こういった同じ人間を崇拝(人を尊敬することは良いことです。しかし、神格化することは偶像礼拝の罪であり、聖なる真の神が最も忌み嫌う行ないです。)したり、ものを言わない偶像を拝んだりする愚かなことが公然と行われているのです。足の効かない人を直したのは、パウロたちが信じているイエス・キリストによるのであり、全ての人は、そこにこそ目を向けなければなりません。
   ③恵みをもって…私たち人間は、毎日、太陽が東から出て西に沈むこと、春夏秋冬の季節の移り変わりも当たり前だと思って過ごしています。時に、大雨による洪水や大地震による被害などが起きると、全知全能の神がいるなら、なぜこんなことが起きるのか、と不平を言う人がいます。しかし、そういった態度は聖なる全能の神の存在を認めない人間中心主義から発しているのであり、正しいものとは言えません。真の神は、あらゆるものをもって、私たち人間に日々恵みを注いでくださっているのに、まず、そのことに対する感謝をすべきでしょう。そればかりか、神は、多くの人々の救いのために、ご自身天から下って来られ、あの十字架で罪の贖いを完成してくださり、正に「驚くばかりの恵み」を与えてくださっているのです。

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