●7月7日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き18:1~17)

「コリントでの宣教」という題でポイントを三つあげます。

①アクラとプリスキラ…ギリシャ文明の中心地であったアテネを去ったパウロは港町でもあり、経済的な中心地であるコリントへ行きました。ここで、ローマから来ていたアクラとプリスキラに出会いました。パウロは元々、天幕作りの技術を身に着けていたようで、同業のアクラ夫妻の家に身を寄せながら仕事をし、安息日には会堂で論じていました。この後に記されたパウロによるローマ16:4では「この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。」とあります。また、自分の家を「家の教会」として提供していたのですから、アクラ夫妻は、それ相当の気構えがあった、つまり、自分の生涯を主におささげしていたことがうかがえます。イスラエル初代の王はサウルです。彼は背丈も高く、立派な青年で、預言者サムエルに油注がれ、王となりました。しかし、全能の主に対して徹底して従う人ではありませんでした。それゆえ、主は、サウルを退け、ダビデを王として立てようとしたのです。サウルは、自分の娘婿でもあるダビデを妬み、殺そうと、自分の生涯の終わりまで追いかけ回しました。サウルは自己保身に走り、本来のイスラエルの王としての役目を見失ってしまったのです。アクラとプリスキラが主とパウロに献身的に仕えたように、私たちも、主に仕える使命の中を歩み続けましょう。 

②みことばを教えることに専念…シラスとテモテがマケドニヤからコリントに来てパウロに合流することができました。すると、パウロは、みことばを教えることに専念することができました。ピリピ4:15を見ますと、この時、ピリピの教会がシラスとテモテに支援の物を預け、パウロの働きを助けたことがうかがえます。ピリピの教会には紫布の商人ルデヤの家族、またパウロによって命拾いした看守の家族もいたことでしょう。彼らは神の恵みを無にせず福音宣教の働きの前進を願い、行動したのです。

③恐れないで語り続けなさい…パウロの宣教は、コリントにおいても迫害がありました。ある夜、主が幻で「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われました。それでパウロは一年半ほどコリントに留まり、宣教を続け、また、危害を受けることもありませんでした。「この町には、わたしの民がたくさんいる」とありますが、最近、当つばめさわ教会の周辺にはクリスチャンが少しづつですが加えられています。主が導いてくださったこの教会の場所を拠点にして、ここから四方八方に福音を伝える使命が与えられているのです。

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