●8月11日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き20:1~16)

「週の初めの日に」という題でポイントを3つあげます。

①勧めと励まし…パウロはエペソを去るとき、弟子たちを呼び集めて励ましています。また、マケドニヤに渡ったときも、そこで多くの勧めをして兄弟たちを励ましています。私たち人間は弱いもので、日々、様々なことで不安や恐れを抱いてしまいます。でも聖書はこの世のものを「恐れなくてもよい」と言っています。むしろ、本当に恐れなければならない方、「私たちの魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」と言っています。私たちが救い主イエス・キリストを信じ、この方のうちにあるなら、罪赦され、永遠のいのちのうちを歩み、主もまた、限りなく私たちを見守り続けてくださるのです。

②週の初めの日に…4節を見ますと、パウロには何人かの同行者がいます。ベレヤ人、テサロニケ人、デルベ人、アジア人、各方面から一人、二人と集まっていますが、これは、ローマ人への手紙15:27や第二コリント8~9章などを参照すると、各地域の教会の代表者たちがエルサレム教会のために献金を携えてパウロに同行していたのではないかと思われます。それらの同行者も加わって、トロアスで、週の初めの日にパンを裂くために集まりました。「パンを裂く」、今日どこの教会でも行われる聖餐式のことです。福音宣教の対象がユダヤ人から異邦人に移行していく過程の中で、それまで土曜日がユダヤ人にとっては安息日だったのですが、徐々にキリストが復活した日曜日が重んじられていったようです。「週の初めの日に」という表現は、この使徒20:7と第一コリント16:2にもあります。またヨハネ20:19では、復活したキリストが週の初めの日の夕方弟子たちの前に現われ、同26節では、その八日後の週の初めの日に弟子たちの前に現われています。そういった聖書的な裏付けと、歴史の中で主の許しの下に日曜日が重んじられてきたのでしょう。この日曜日を重んじるということはクリスチャン生活の原点であり、たとい、職業的に止むを得ず、日曜日を休めない人も、その意義を見失ってはなりません。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。(マタイ6:33a)」
 
③青年ユテコ…その集会で、三階の窓辺にいたユテコという青年は、パウロの話が長く続くので眠ってしまい、そこから下に落ちて死んでしまいました。しかし、パウロが下に降りて、彼を抱きかかえると、ユテコは生き返りました。ここで死人が出たら、いくら恵まれた集会も台無しです。この記事の教訓を二つ上げます。一つは、やはり、みことばを悪魔に奪われないように集会中は眠らないほうがよいでしょう。二つ目は、どんなことにも安全対策を怠らないことです。ユテコに背もたれは無かったのでしょう。つまり、安全対策を怠っていたのです。例えば、メガネをイスの上に置けば誰かが来て知らずにそこに座り、メガネを壊してしまう恐れがあります。メガネは使っていないときはメガネケースに入れて、なおかつ机の上に置くべきです。車の任意保険も安全対策の一つです。地震もそうです。いつ地震が起きても大丈夫なように、最善を尽くして安全対策を施すべきです。でも最も大切なことは霊的、信仰的な安全対策です。詩篇62:8には「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」とあります。礼拝と主にある交わり、みことばと祈り、そういった日々の基本的なことが私たちを守り、正に信仰的、霊的な安全対策となるのです。

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