●8月25日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き20:17~38)

パウロ一行は、トロアスからアソス、ミテレネ、ミレトへと行き、ミレトからエペソの長老たちを招いて集会を開催します。「ミレトでの長老会」という題でポイントを4つあげます。

①謙遜の限りを尽くして…箴言18:12に「謙遜は栄誉に先立つ」とあります。「謙遜」は大切な徳の一つです。パウロは19節で「私は謙遜の限りを尽くした」と言っています。エジプトの奴隷からイスラエル人を解放したモーセも民数記12:3で「モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜だった」と記されています。パウロもモーセも多くの民を救いと解放に導く大きな働きをしましたが、一般的、この世的に理解されている「謙遜」とは異なります。自己保身のために言うべきことも言わない謙遜ではなく、全能の神に仕えるが故に命がけで戦う謙遜と言えるでしょう。20節でパウロは「益になることは少しもためらわず」と言っています。私たちが関わる家族や友人、知人に対して福音を伝えることをためらってはいないでしょうか。真の神を恐れ、神に仕える謙遜をもって、私たちも21節のパウロのように神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰とをはっきりと主張しましょう。

②走るべき行程を走る…パウロは聖霊によってエルサレムに行かねばならないという何らかの示しを受けていたのでしょう。しかし、同時にエルサレムに行けば命の危険にさらされるということも感じていたようです。でもそれが神のみこころであり、自分の使命であるなら、「私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と言っています。私たちもそれぞれ、自分の走るべき行程を走り尽くしてパウロのように言うことができたら何と幸いでしょう。

③目をさましていなさい…29節では「凶暴な狼が入り込む」と言っています。実際の狼ではなく、健全なイエス・キリストを信じる信仰を妨げようとする何らかの敵対者です。今日、私たちも曲がった教え、つまり偽物に惑わされないために、まず、本物をよく知ること、そのために聖書をよく読むことです。聖書はこつこつと少しづつ一日一章でも二章でも読んで、通読することが効果的です。

④受けるよりも与えるほうが幸いである…パウロはかつてコリントでアクラとプリスキラに出会い、彼らと共に天幕作りをしていました(使徒18:3)。第一コリント9:14~15でパウロは「主も、福音を宣べ伝える者が福音の働きから生活の支えを得るように定めておられます。しかし、私はこれらの権威を一つも用いなかった」と言っています。ここでパウロは何を言わんとしているのでしょう。神の教会を牧会する長老たちに向けて、イエス・キリストのように「受けるよりも与える」こと、つまり、自分のことよりも他者の幸いを求めるよう心掛けることを勧めているのです。

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