●10月27日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き25:1~12)

 「フェスト着任」という題でポイントを3つあげます。

①パウロを訴える人々…ペリクスの代わりにフェストが後任の総督として着任しました。フェストは三日後、エルサレムに行くと、祭司長やユダヤ人の主だった人々がパウロのことを訴えました。パウロを訴える人々の狙いはパウロを殺すことにありました。言うまでもなく、パウロは殺されなければならないようなことは何一つしていません。なぜ祭司長たちは執拗にパウロを殺害しようとするのでしょうか。その彼らの深層心理を考えてみましょう。最近、神戸の小学校で教師間のイジメのニュースがありました。連続的にイジメが行われていたようです。イジメを受けていた教師は無抵抗だったようです。他の教師は見て見ぬふりをしていたようです。つまり、正面からイジメを止める人がいなかったのです。詩篇37:35には「私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。」とあります。悪は放っておくと、止まることを知らずにはびこるのです。ちょうど、人の住んでいない家の軒先にクモの巣が張るようにです。今日、キリスト者は世の光、地の塩です。悪の防止役として世に遣わされているのです。

②ユダヤ人の歓心を買おうとした…前任のペリクスも、ユダヤ人の手前、パウロを二年間も留置していましたが、フェリクスも同じで、ユダヤ人の歓心を買おうとして、パウロに「あなたはエルサレムで私の前で裁判を受けることを願うか。」と尋ねています。パウロはガラテヤ1:10で「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。」と言っています。さて、私たちはどうでしょう。人の歓心を買おうとするのではなく、真の神様、イエス様が喜ばれるような歩み方を求めるべきではありませんか。その証しとして、主の日である日曜日を聖別し、礼拝に参席することを重んじましょう。次に主が忌み嫌われる偶像を徹底して捨てましょう。第三は、私たちに全ての物を与えてくださっている主に十分の一を感謝してささげましょう。

③私は死を逃れようとしません…パウロはフェストに対し、自分に死罪にあたるような罪があるなら、死を逃れようとしない、カイザルに上訴する、と言っています。このとき、パウロの中では、ローマに行って福音を伝えなければならないという思いがあったのでしょう。パウロはピリピ1:21で「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」と言っています。自分が生きているのはキリストを証しするため、たとい死んでもキリストと共にいることなので、実はそのほうがはるかにすばらしい、ということを言っていて、自分の生涯の目標は、ただ神の栄光を現すことに置いていたのです。

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