●11月17日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き26:19~32)

 「私のようになってください」という題でポイントを3つあげます。

   ①天からの啓示に背かず…パウロは熱心なユダヤ教徒で、クリスチャンを迫害していましたが、エルサレムからダマスコに行く途上でイエス様からまばゆい光を受け、声を掛けられ、そこで劇的な回心をし、その後は誰よりも熱心なイエス・キリストの福音の伝道者となりました。同志社大学を創設した新島譲はアメリカの宣教師から漢訳聖書を受け取って読み、「誰が私を創ったのか。両親か。いや神(創造主)だ。そうであるなら、私は神に感謝し、神を信じ、神に対して正直にならなくてはならない。」と思い、1864年、当時禁止されていた海外密航を思い切って実行し、その後帰国してキリスト教教育に力を注いだのです。たとい、劇的なものでなくても、天からの啓示は全ての人に与えられているのではないでしょうか。ローマ12:2には「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」とあります。私たちは天からの啓示に素直に従う者となりましょう。

   ②死者の中からの復活…ローマ総督フェスト、そしてアグリッパ王たちの前で弁明しているパウロが最も伝えたかったことは、イエス・キリストの十字架の死と復活でしょう。なぜなら、キリストが死から復活したことにより、十字架による罪の赦しと救いが確証されたものとなり、また、信じる者にとってはキリスト同様にやがて復活するという希望があるからです。ローマ帝国の文化の中で生きてきた総督フェストは、復活の話を聞いて、「気が狂っているぞパウロ。」と口をはさみました。今日、フェストのように、「復活?それはまるで戯言(たわごと)」、と思っている人は少なくないでしょう。しかし、その復活を否定することは、唯一の救いを拒否することにもなります。この世が提供する知恵によれば死の先には絶望しか残されていません。私たちは賢い選択をしましょう。確かに復活したイエス・キリストを信じ、希望に溢れて過ごしましょう。

③私のようになってくださることです…この時パウロは鎖に繋がれていました。ですから、「私が願うことは、私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」と言いました。パウロの話を聞いているのは、ローマ総督フェストやアグリッパ王など、世の権力者です。彼らには権力と贅沢な生活が伴っていたことでしょう。しかし、それは表面的なことだけで、その心の中は、恐れ、不安、不自由などに支配されていたと思われます。一方、パウロは囚われの身ではありましたが、イエス・キリストの救いにより、その心の中は喜びと平安と自由に満たされていたのです。だから、「私のようになって下さい。」と言うことができたのです。

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