●3月15日(日)礼拝メッセージ要旨( ローマ6:1~11)

 「キリストと共に生きる」という題でポイントを3つあげます。
   
   ①キリスト・イエスにつくバプテスマ…前章ローマ5:20で、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」とあります。それを受けて6:1では「それでは、恵みが増し加わるために私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか」と言っていて、「絶対にそんなことはありません。キリストにつくバプテスマを受けた人は、その死にあずかるバプテスマを受けたのだから」ということを言っています。まず、そのバプテスマの本質を探りたいと思います。第一ペテロ3:20~21を見ますと、ノアの箱舟の出来事とバプテスマが関連付けて説明しています。今の時代にキリストにつくバプテスマを受けるということは、ノアの時代に箱舟に乗って8人が救われたように、永遠の滅びから免れることです。箱舟に乗るか拒むか、イエス・キリストを信じ受け入れるか否か、それは大きな努力は不要で、意志の問題です。そして、「キリストにつく」とは、一時的なものではなく、ぶどうの木に連なった枝が実を結ぶように、キリストに従い続けることです。

   ②キリストの死にあずかるバプテスマ…バプテスマを受けたら、罪に対しては死んでしまったはずなのですが、弱さを持つ私たち人間は、罪の誘惑から全く解放されているとは言い切れない部分があるものです。でも、そこで戦うのです。詩篇101:3には「私の目の前に卑しいことを置きません。私は曲がったわざを憎みます。それは私にまといつきません。」とあります。バプテスマにより、キリストと共に古い自分は葬られているということを覚えましょう。

   ③キリストと共に生きる…弱さを持つ私たち人間は、この世においては、戦いがあります。罪との戦い、あるいは様々な試練や恐れに押しつぶされないようにしたいものです。そのために、「キリストと共に生きる」ということを選び取っていくのです。例えば、心が落ち着かない。なんとなくざわざわと不安を感じるときがあったとしましょう。そんなとき、ピリピ4:6~7の「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」というみことばの通りに、イエス様の御名によって祈るのです。しばらく祈っていると、そのみことばの約束通り、心に平安が与えられます。世は今、様々な不安が蔓延しています。だからこそ、私たちはイエス様を信じて、主とともに生きるのです。みことばと祈り、そして機会あるたびに証しをしたり、福音を伝えたりして、主のみこころを行なってまいりましょう。

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