●4月26日(日)礼拝メッセージ( ローマ8:26~30)

「御霊による執り成し」という題でポイント3つあげていきます。
  御霊による執り成しの祈り…ローマ人への手紙8章は「御霊の働き」について記さ
ています。この26~30節は、その御霊の働きについての最も核心となる部分を説
明しているのではないかと思います。26~27節では、祈りと御霊の関係についてで
す。私たちがどのように祈ったらよいか分からなくても、御霊ご自身が、言いようもな
い深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださるというのです。エペソ6:
18にも「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさ
い。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを
尽くし、また祈りなさい。」とあります。御霊によって祈るとはどういうことでしょう
か。この定義づけは難しいと思いますが、あえて定義するとすれば、「天の父なる神の
前に、イエス様の名によって、誠実に、切に、信仰によって祈る。結果として、私たち
の内におられる聖霊様が祈りを助けて下さる。」となりました。人前で代表して祈ると
きなどは整った言葉が求められますが、一人奥まった部屋で祈るときなどは、言葉の美
しさなどよりも心を込めて祈ることが大切です。いずれにしても、主の前に誠実に心を
込めて、切に祈り求めることです。
  すべてのことが益となる…第一のポイントでは、御霊が私たちの祈りを執り成して
ださるということを確認しましたが、それは机上の空論ではなく、実際的に主が祈り
に答えてくださり、すべてのことを益にしてくださるのです。現在、世界中で問題とな
っている疫病、なかなか終着点が見えてきません。そんな中、筆者のところに、日本
宣教リサーチという所から「日本宣教ニュース」というメールが配信されてきました。
今回は「教会として新型コロナウィルスにどのように対処すべきか」というようなテー
マでの特集記事でした。その記事の中で、一部、昔のマルチン・ルターの言葉が紹介さ
れていました。やはり、当時、疫病が蔓延したときのものです。「私はまず神がお守り
くださるようにと祈る。そうして後、私は消毒をし、空気を入れ替え、薬を用意し、そ
れを用いる。行く必要のない場所や人を避けて、自ら感染したり他者に移したりしない
ようにする。私の不注意で、彼らの死を招かないためである…。しかし、もし隣人が私
を必要とするならば、私はどの場所も人も避けることなく、喜んで赴く。と、A4紙
で24ページほどの多くの各種記事の中で、筆者にとっては、この一文が目に留まりま
した。理性と信仰が偏ることなく、その言葉の中に込められていると思いました。この
疫病の問題のために私たちは祈ります。先週、グレース宣教会から送信されてきた文章
の中に「十字架の祈り」というものがありました。つぎのようなものです。《Ⅰペテロ
: (感染症拡大が静まるよう)を祈ろう。 ・感染者の命の守りと癒やし、すべての
人々の救いの為に。 ・世界中の新型コロナウィルス感染が、一日も早く終息すること。
 ・最前線で働いておられる医療従事者、関係者の働きと安全のために。 皆で心を合わ
せて祈りましょう。》
    ③さらに栄光をお与えに…主は、私たち一人一人に対して、忍耐をもって救いの御手
   を差し伸べてくださいました。第二ペテロ3:9には「主は、ある人たちがおそいと
   思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえ
   って、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びること
   を望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とあり
   ます。もし、主の忍耐がなければ、私たちの多くは滅びてしまったことでしょう。し
   かし、その主の忍耐によって、ある人は子供の時、ある人は若い時、またある人は晩
   年になってから、それぞれイエス様を救い主と信じる信仰が与えられたのです。な
   と幸いなことではありませんか。私たちは、主に召され、義と認められ、そしてさら
   に栄光が与えられるのです。すなわち、御子のかたちと同じ姿にされるのです。何か、
   人と比べて優れたところがあるからではありません。また、真面目だからとか、立派だ
   からということでもありません。この世界と宇宙を創造された全知全能の天の父の元か
   らから遣わされた御子イエス・キリストの十字架による贖いのゆえです。私たちがした
   ことは、この救い主の御名を信じ、呼び求めることだけです。そうです。これからも、
   この地上に生かされている限り、「イエス様。」と呼び求めてまいりましょう。「主を
   呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに【主】は近くあ
   られる。(詩篇145:18)」、「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救わ
   れる』のです。(ローマ10:13)」

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