●7月12日(日)礼拝メッセージ要旨(ローマ12:1~8)

ローマ人への手紙12章は教訓に満ちた、聖書の中でも特に輝きを放つ章です。1~8節から、「自分を変える」という題でポイントを3つ上げます。

①自分のからだをささげる…1節の「そういうわけですから」というのは、これまで語られたことを前提にして、という意味です。人は行ないによるのではなく、イエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰によって義とされる。また、やがて天においてキリストとの共同相続人とされるという正に筆舌に尽くしがたい永遠の祝福を受けるということ、それらのことを踏まえたうえで、まず、「自分のからだをささげる」ということについてです。「献身」という一般的にも使われている言葉があります。教会で「献身」というと、牧師や伝道者として献身するという意味でつかわれる場合と、もう一つは、どんな仕事をしていても、仕事を通し、生活を通し、全能の聖なる神に仕え、神の栄光を現す生き方をするという意味で使われることがあります。もし、ある人が、自分の欲望のためだけに生きて一生を終えるとしたら、なんと空しいことではないでしょうか。真の神の栄光のために生涯をささげる、これこそ、神が私たちに望んでおられることです。キリスト者にとっては日曜日の礼拝は大切ですが、神の栄光を求めて生きる生き方は、それ自体が礼拝と言えます。

②自分を変えなさい…誰も自分を変えなければならないとは思っていないでしょう。なぜなら、人はそれぞれ、自分が正しいと思うことを行なっているからです。箴言21:2には「 人は自分の道はみな正しいと思う。しかしは人の心の値うちをはかられる。」とあります。つまり、この世の価値観や自分の価値観で正しいかどうかではなく、の価値観、聖書からみたらどうなのか、ということが問われるのです。私たちの生き方の模範となるのはイエス・キリストです。イエス様が歩まれたように歩むということを目標にするならば、誰も自分を変えざるを得ないでしょう。

③与えられた賜物によって仕える…3節に「誰でもおもうべき限度を超えて思い上がってはいけない」とあります。私たちは自分自身を冷静に見つめ、自分は何者なのか、何のために生かされているのかということを悟るべきです。フランスの哲学者であり数学者でもあるパスカルは「人間は考える葦である」と言いました。人間は今日生きていても明日はどうなるか分からない葦のような、また、現われては消えていく霧のような存在です。しかし、考えるという偉大な能力が備わっているのです。この「考える」ということを正しく用い、真の神を恐れ、神から与えられた、その賜物をもって神の栄光のために仕えていくのです。4節には「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしない」とあります。私たち一人一人に与えられている賜物は実に独特のもので、それが神にささげられ用いられることがベストです。神の栄光のために互いに仕え合いましょう。

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