「祝福しなさい」という題でポイント四つあげていきます。
①あなたがたを迫害する者を祝福しなさい(14節)…何か、人から悪い仕打ちを受けたとき、「やられたらやり返す」のか、それとも「やられても我慢するか」、道徳的、倫理的に見て、後者の「我慢する」ことが優れているように思います。ところが聖書の教えは、その上を行っています。「迫害する者を祝福しなさい」です。マタイ5:44には「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」とあります。
②喜ぶ者と一緒に喜びなさい(15節)…オリンピックなどの決勝で敗れて2位となった選手が優勝した選手を祝福する場面を見るときがあります。素直に美しい光景だと思います。また、泣く者と共に泣く。誰かが悲しんでいれば、言葉だけで励ますよりも、一緒に泣くことのほうが、その人を力づけるようです。ヨハネ11章で、ラザロが死んだとき、キリストはそこに行かれ、ラザロの姉妹マリヤたちが泣いているのに共感され泣かれました。もちろん、その直後、キリストのことばによってラザロは生き返って、墓から出てきました。互いに一つ心になり、高ぶらず、身分の低い者に順応しましょう。
③すべての人と平和を保ちなさい(18節)…一昨年、韓国における徴用工の賠償に係わる裁判で、元徴用工の訴えが認められたことにより、日本政府は、1965年の日韓請求権協定で解決済みであるとして、強く反発し、その後、日本は韓国に対して貿易上のホワイト国除外を言い渡しました。それ以来、日韓関係はギクシャクし、韓国からの旅行者も激減するなど、両国の経済に大きなダメージを及ぼしました。日韓請求権協定は国家間の協定であり、徴用工だった個人と当時の日本企業の関係は別問題であるとする人もいます。1910年から1945年まで日韓併合ということで、日本は、朝鮮半島を支配し、神社参拝を強要し(当時、1049あった神社は今無い)、言語の自由も奪った。そういった重い過去の歴史があることを日本は忘れるべきではありません。日韓請求権協定を主張するにしても、まず、過去の歴史を鑑みた発言を添えて、日韓関係に支障をきたすことがないようにするべきだったと思います。そういった国家間の平和もそうですが、個人レベルにおいても、私たちは全ての人々との平和を保つべきです。
④善をもって悪に打ち勝ちなさい(21節)…敵を祝福するという思想は、新約聖書の専売特許に思えますが、案外、旧約聖書にも多々見られます。第二列王記6章で、預言者エリシャがアラム軍を盲目にさせたあと、サマリヤのイスラエル王の所に彼らを連れて行くと、イスラエル王が「私が打ちましょうか」と言います。エリシャは彼らのために宴会を催し、飲食させて国に帰しなさいと言います。また、第一サムエル記25章で、ダビデがサウル王から逃れていたとき、羊3000頭、ヤギ1000頭を所有する裕福なナバルとの関わりがありました。ナバルが羊の毛の刈り取りの祝いをしているとき、ダビデは若者10人を遣わし、飲食の提供を求めます。ナバルは「ダビデとは何者だ」と言って、若者たちを冷たく追い返します。それを聞いたダビデはカンカンに怒り、400人を引き連れナバルの所に向かいます。一方、ナバルに仕える若者は、ナバルの妻アビガイルに事の次第を話すと、聡明なアビガイルは、すぐに大量の食糧などを用意させ、ダビデの所に向かいます。ダビデに出会うと、アビガイルは、懸命に執り成し、ダビデに無駄な血を流させないようにと訴えます。それを聞いたダビデはアビガイルに「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。(第一サムエル25:32~33)」と言っています。その翌朝、ナバルはアビガイルからそのことを聞いて、ショックを受け、石のように固まってしまい、その10日後に死んでしまします。このときダビデが怒りに任せて無駄な血を流すようなことがあれば、その後のダビデの生涯はどうなっていたことでしょう。復習は主にお任せし、私たちは、善をもって悪に打ち勝ちましょう。