●9月6日(日)礼拝メッセージ要旨(ローマ15:1~13)

ローマ15章1~13節から、「望みにあふれる」という題で、ポイントを4つあげます。

 ①力のない人たちの弱さを担う(1節)…弱っている人に手を差し伸べる。困っている人を助ける。そういったことは誰でも頭では分かっています。けれども、それを実行できるかどうかは、それぞれ持っている行動力とか、力量などに左右されるでしょう。マタイ25章で、キリストが栄光の位に就いたとき、集められた人々を、羊と山羊に分けるということが記されています。この地上にいたとき、空腹な人に食べ物を与え、渇いている人に飲ませ、旅人に宿を貸し、裸の人に着るものを与え、病人を見舞い、牢にいる人を訪ねる、そういう人こそキリストに従順な羊であり、天の父に祝福された人であると言っています。人それぞれですが、一般的に、実生活の中で、誰かを助けるという機会は多くはないでしょう。気張らないで、小さなことでも、自分にできることはしよう、という姿勢をもつことです。

 ②キリストにあって同じ思いを持つ(5節)…キリストご自身、この地上を歩まれたとき、力のない人、弱っている人々を誰よりも多く、力強く助けました。そればかりか、当時のユダヤ人指導者に妬まれ、そしりを受け、最後は十字架で殺されました(もちろん、葬られた後、復活し、今も生きておられますが)。今日、キリストを信じる私たちは、そのキリストの心をもって一つ思いになる。つまり、少々のことで、落ち込んだり、怒ったりしない、寛容で忍耐強く、正にキリストのような心を持つということです。それは理想と言えるかもしれませんが、そうありたいものです。エペソ4:13です。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」

 ③異邦人も御名をほめうたう(9節)…イエス・キリストの十字架と復活による救いが、ユダヤ人から始まって、それから異邦人にまで及んで行く、というのが神のご計画であり、みこころであると、パウロは言っています。その証拠として、パウロは9~12節の間に旧約聖書の5か所からみことばを引用しています。その一か所、詩篇117:1には「すべての国々よ。をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。」とあります。救いがユダヤ人から始まり、やがて、全世界中の民がイエス・キリストの救いを受け、主に賛美をささげることは、真の神のみ旨なのです。

 ④望みにあふれさせてくださいますように(13節)…私たちは、この世にある限りにおいて、様々な問題に直面します。そして、その度に、不安になったり、心傷ついたりするものです。だからこそ、私たちは、何があっても揺るぐことのない希望を持つべきであり、また、それを失うことがないようにしましょう。私たち人間を形造られ、生かしておられる方は、正に「望みの神」です。12節に「異邦人はこの方に望みをかける」とありますが、「この方」とはイエス・キリストのことです。キリストは、低いところに下ってこられ、そしりと苦しみを受け、死にまでも至り、多くの人に救いの道を開いてくださいました。私たち一人一人の弱さ、苦しみを知っておられる方こそ、私たちの希望でもあります。私たちは、この方を見上げて、聖霊の力によって、望みにあふれさせていただきましょう。

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