●10月11日(日)礼拝メッセージ要旨(第一コリント1:1~17)

 使徒の働き18章で、パウロはコリントで伝道しました。その後、同19章でエペソに行ったパウロは、コリント教会に色々な問題が起こっていることを聞き、この手紙を書いたようです。最初に仲間割れの問題を扱っています。「キリストにあって豊かな者とされた」という題でポイントを3つあげます。

 ①「主はすべての人々の主」(2節)…当時のパウロの基本的な伝道方法は、まず、ユダヤ人会堂(シナゴグ)に入って、キリストの福音を伝えるというものでした。会堂に来ているユダヤ人は、言うまでもなく、天地を創造した真の神の存在を信じています。また、その神の前に人間は罪人であるということも理解しています。ですから、要は、イエス・キリストが神のひとり子として十字架で救いを成し遂げられたという、この一点に絞って福音を語ればよいのでした。もちろん、信じる人も起こされましたが、厳しい迫害もありました。ところで、我が国、日本での伝道はどうでしょう。神と言えば八百万の神々、死んだ人や動物が神として祀られているのですから、罪も救いも分かりません。しかも、日本は、あの仮説に過ぎない進化論を世界で最初に学校教育に取り入れた(1887年・明治10年)国です。かつて、筆者は、天地を創造した聖書の神を初めて聞いたとき、「確かに、偶然の積み重ねで自分が今存在している筈がない」と思い、創造の神を信じました。また、人間は罪人であるということも分かりましたが、なぜ、イエス・キリストが救い主なのかが分かりませんでした。しかし、1976年4月、肉親の死を契機にキリストを信じました。頭の整理をしたのはその後です。日本が中心の世界地図では分かりにくいのですが、世界の陸地の中心は中東地域であって、そこから人類が四方八方に広がりました。そして、その世界の中心にキリストが降誕し、やがて十字架に架けられ、死から復活し、キリストの福音が世界中に宣べ伝えられてきたのです。イエス・キリストはすべての人の主であり、救い主です。

 ②「キリストにあって豊かな者とされた」(5節)…私たちは、車に乗る時、家に入る時など、日常的にカギを使います。もう一つ、目に見えない大切なカギがあります。天の御国のカギです。キリストがペテロにマタイ16:19で「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」と言われました。天の御国につながるカギ、それは、私たちがイエス・キリストの御名によって祈るとき、それは天につながっているのです。その証拠に天からの喜びと平安が与えられます。コロサイ2:3には「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」とあります。その隠された宝を見つけるためにはイエス・キリストの名によって祈り求めることです。

 ③「キリストにあって一致する」(10節)…当時のコリント教会は、パウロ派、アポロ派、ケパ派、キリスト派、というように、仲間割れしていたようです。今日、私たちが、イエス・キリストの福音を聞いて、信仰を持つようになったのは、福音を伝えてくれた人だけでなく、実に多くの人たちの関わりのゆえであります。聖書翻訳にしても、長期間にわたる無数の人たちの地味な労力があって、今日私たちは当たり前のように聖書を手にしています。確かに、そういった人々を介して福音が届けられてきたのですから、関わった方々に感謝と敬意を表すことは良いことです。しかし、特定の人を神格化したり、派閥の代表に据えて、互いに対立するなどということは愚かなことです。人間は人間。人間以上でも以下でもありません。信仰的に大人の考え方をすべきです。エペソ4:13です。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」

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