●10月25日(日)第一礼拝メッセージ要旨(詩篇103:15~22)

 「主の恵みが及ぶ人」という題で、詩篇103:15~22からです。

 ①「人の日は草のよう」(15~16節)…15~16節の「人の日は草のよう。野の花のように咲く~」は、イザヤ40:6(第一ペテロ1:24で引用されている)のみことばとよく似ています。草のことではなく、私たち人の一生の儚さ、空しさを表わしています。奥の細道の松尾芭蕉が平泉で「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」と詠んだ俳句もそれと共通するものがあります。しかし、聖書は、そういった儚さや空しさだけで終わっているのではなく、実態を伴う永遠の希望があることを伝えています。

②「しかし、主の恵みは」(17~18節)…とこしえの主の恵みがあるのです。但し、それは無条件にすべての人に及ぶのではありません。主を恐れ、主の契約を守り、その戒めを心に留めて行なう者に及ぶのです。主を恐れる者とは、天地を創造した真の神の存在を認める人です。主の契約を守る者とは、十字架の贖いによって新しい契約を示されたイエス・キリストを信じ通す人です。その戒めを心に留めて行なう者とは、神である主を愛し、隣人を自分自身のように愛する人です。

 ③「主は天にその王座を堅く立て」(19節)…主の恵みはどこから来ますか?天の御座からです。おなかを空かせて家に帰った時、玄関を開けると美味しそうな匂いが立ち込めてきました。その美味しそうな匂いは台所(キッチン)からです。そうです。とこしえの主の恵みは天の御座から流れて来て、また主イエスを信じる者は、この地上の務めを終えると、その天の御国に帰るのです。ヘブル11:10には「彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。」とあり、アブラハムが持っていた天の都に対するイメージを表現しています。この地上は決して盤石ではありません。私たちは、揺るぎない天の御国から来る恵みを受け、そして、やがて来たる日にそこへ帰る者とならせていただきましょう。

 ④「みことばを行なう力ある勇士」(20節)…みことばを実行する者に対して「力ある勇士」と最大限の誉め言葉で表現しています。聖書のことばは、ただ聞くだけではなく、実行してこそ意味があります。例えば「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。(第一テサロニケ5:16~18より)」というみことばを生活の中で実践する。そのとき、主の力が共に働き、正に力ある勇士と言われるに相応しい者となるのです。

 ⑤「みこころを行ない、主に仕える者」(21節)…最近、中国の習近平さんもロシアのプーチンさんも自分個人の権力強化のために国の制度を変更したようです。この世の人々の多くは、人に仕えられるような者になろう、出世して偉くなろうと考えます。しかし、イエス・キリストはマタイ20:28で「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」と言われました。聖書の基準からして、本当に偉い人、立派な人とは、謙虚に人々に仕える人です。

 ⑥「すべて造られた者」(22節)…第一テモテ2:1に「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」とあるように、神のみこころは、すべての人が救われること、真の神を賛美するようになることです。キリスト者は、この神のみこころを実現するために祈り、福音を宣べ伝えねばなりません。そして、いつでもどこでも主をほめたたえることです。

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