●12月20日(日)クリスマス礼拝メッセージ要旨(マタイ1:18~25)

 クリスマス礼拝ということで、マタイ1:18~25からクリスマスメッセージです。「私たちとともにおられる神」という題で、ポイント3つ上げいきます。

 ①「ヨセフは正しい人だった」(19節)…マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書の中で、イエス・キリストの降誕を取り上げているのは、このマタイの福音書とルカの福音書の二つです。ルカの福音書ではマリヤに焦点が当てられていますが、マタイの福音書はヨセフに焦点が当てられています。系図が両書とも出てきますが、ルカの福音書はマリヤの系図、マタイの福音書はヨセフの系図です。アダムからダビデまでは同じですが、ダビデ以降が異なります。さて、ヨセフとマリヤの婚約中、ヨセフはマリヤが身重になったことを知りました。ヨセフの心中はどれほど動揺したでしょうか。しかし、そこで、ヨセフは、マリヤを気遣い、このことを内密に去らせようとしました。(もちろん、このとき、主の使いが夢でヨセフに現われ、その胎に宿っているのは聖霊によるということを伝えます)ヨセフに関する記事はイエス様12歳のときで終わっていますが、ヨセフは信仰者であり、人格者だったことがうかがえます。彼は、自分のことよりも、マリヤに対してどうするのが一番良いか、というところに視点が向いています。

②「その名をイエスと付けなさい」(21節)…「イエス」という呼び方はギリシャ語式です。ヘブル語式では旧約聖書に出てくる「ヨシュア」と同じです。神の御名が「ヤハウェ」と発音するとするなら、「ヤハウェは救い」という意味です。イエス様は、信じる全ての人の罪をその身に負い、十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目に復活されました。今日、誰でもこの方を信じ受け入れるなら、罪の赦しと御国を受け継ぐのです。これは神からの賜物、正に、これ以上は望むことのできない天からの贈りものです。無償ですが、自分のものにするには、心を開き、信じ受け入れなければなりません。

③ 「インマヌエルと呼ばれる」(23節)…インマヌエルの意味は「神は私たちとともにおられる」です。インマヌの部分が「私たちとともにおられる」で、エルが「神」です。第2ポイントの「イエス」は名前です。「インマヌエル」は、そう呼ばれるということ。イエス様は、私たちとともにいてくださる神です。マタイ28:20で復活後、まだこの地上におられたとき、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と言われました。今日、イエス・キリストを信じる私たちは、ともにいてくださる神であるイエス様、すなわち、聖霊様の御声を聞いて過ごしましょう。私たちは、生活の中で様々な岐路に立たされます。そのとき、自分の思いではなく、聖霊様の御声を聞いて従うことです。

ルカの福音書2章に記されているヨセフとマリヤにとっては、正にそういった状況、苦難の連続でした。皇帝アウグストによる住民登録のためヨセフは身重のマリヤとともにナザレからベツレヘムの旅をしなければなりませんでした。ベツレヘムに到着すると宿はなく、産気づいたマリヤは家畜小屋のような場所で出産しなければなりませんでした。こういった状況の中でヨセフとマリヤはどんな思いで過ごしたのでしょうか。「なんということか」という思いはあったでしょうが、彼ら二人は、神に信頼しつつ、一歩一歩前に向かって行ったことでしょう。結果的には、飼い葉おけに寝ておられるみどり子イエス様は、その知らせを聞いてやって来た羊飼いたちのしるしとなりました。また、救い主がベツレヘムで生まれることは預言の成就でもあり、神の栄光が現れることになりました。今日の私たちも、インマヌエル(神は私たちとともにおられれる)と呼ばれるイエス様を信じ、そして、聖霊様の御声を聞いて、従いつつ、一歩一歩進んでまいりましょう。

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