●2021年4月4日(日)礼拝メッセージ「よみがえられたイエス様」 

イースター(復活祭)に因み、マタイ28:1~10を中心にイエス・キリストの復活について、ポイントを3つ上げていきます。

①「ここにはおられません。よみがえられたからです。」(6節)…日曜日の早朝、マグダラのマリヤらは、墓を見に出かけます。すると、その前に地震が起き、墓を塞いでいた石が取り除けられ、主の使いがそこに現われたので、ピラトから派遣された番兵たちは恐ろしさのあまり、死人のようになってしまいます。マリヤらがそこに到着すると、御使いが彼女らにキリストが復活したことを告げるのです。さて、このキリストの復活ということを整理しましょう。イエス・キリストは、神のひとり子、つまり、神ご自身でもあるのですから、本来、死ぬということはありえないことです。「復活」よりも「死」ということのほうが大きなニュースです。その十字架の死ばかりが強調されると、復活が陰に隠れてしまいます。そのためイースター(復活祭)の存在意義があるというものです。ところで、今、現在、イエス・キリストはどんなお姿でしょう。黙示録1:14~15では、燃える炎のような目、光り輝く真鍮のような足、大水のような声の持ち主であられ、恐ろしく力強い方です。この方が、信じる者を執り成し、助けてくださるのです。もう一つ知るべきことは、イエス・キリストの復活は初穂(第一コリント15:20)だったということです。つまり、キリストを信じる者も、キリストに続いて永遠に死なない体に復活するのです。

②「おはよう」(9節)…キリストは、墓を見に来たマリヤらに「おはよう」と声をかけています。英語の聖書ではrejoice(喜ぶ)ということばが使われています。原語のギリシャ語ではχαίρετεという「喜び」を表わすことばが使われていて、あいさつの言葉として使われるようです。ピリピ4:4の「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」という箇所でも使われている語と同じです。さて、昨年から今年にかけて、新型コロナウィルスの問題が続き、私たちの心に暗い影を落としています。しかし、今は桜の開花時期で、あちらこちらで見事に美しい桜を見ることができます。コロナ渦でありながら、美しい桜で、天の神様、イエス様は、私たちに喜びを与えてくれているのではないでしょうか。ちょうど、墓の前で主がマリヤらに「おはよう(rejoice)」と声を掛けられたことと重なります。ところで、最近、よく聞く言葉ですが、「自分を信じて」という表現を耳にします。たぶん、「自信を持って頑張ってね」というような意味で使われていると思います。でも厳密に解釈するなら、立派でもない自分を信じてどうするのでしょう。エレミヤ17:9には「 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」とあります。自分を信じて挫折するのではなく、その前に自分の弱さ、愚かさを悟り、完全な方であるイエス様を信じ、この主にあって喜びつつ生きるべきではないでしょうか。

③「恐れてはいけません」(10節)…イエス様は、マリヤらに「恐れてはいけません。」と言われたあと、彼女たちに、これからすべきことを言われます。そうです。キリストが復活したら、それで終わりではありません。むしろ、そこから、福音の宣教が始まっていくのです。弟子たちには、まずガリラヤに行くように彼女たちに伝えています。その後、弟子たちはガリラヤに行ってから、エルサレムに戻り、五旬節の日に聖霊を受けてから、本格的に福音宣教が展開されていきました。今日、私たちも、そのときそのとき、自分に与えられている成すべきことを一つ一つ行ないつつ前に進むのです。主は、このコロナ渦であっても、美しい桜を見せてくれているように、一方で「元気を出しなさい」と励ましてくれるのです。ローマ8:34には「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」とあります。復活の主が執り成してくださるのです。但し、私たちは今のコロナ渦の世にあって、マスク着用等、謙虚に予防対策をし、その上で、主を信頼し、恐れることなく、前に向かって進んでまいりましょう。

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