●2021年5月30日(日)礼拝メッセージ「死者の復活」 

第一コリント15:12~34から「死者の復活」という題でポイント3つ上げていきます。

①「もし復活がなかったら」…そもそもクリスチャンは、最初の時点で、イエス・キリストの十字架と復活を信じて洗礼を受けます。ところが、当時のコリント教会の人々の中に、「死者の復活はない」という人がいたようです。この際、「死者の復活」というのは「キリストの復活」というよりも、「キリストを信じる者の復活」のことを言っているようです。それに対してパウロは、もし、死者の復活がなければ「私たちの宣教は実質のないものとなる」、「神について偽証した者となる」、「あなたがたの信仰は空しく、今も自分の罪の中にいる」、「この地上においてのみキリストに望みをおいているなら、すべての人の中で一番哀れな者となる」と、そう言っています。もちろん、今日も、実際的に「死者の復活」ということがないなら、世界中のキリスト教会は輝きを失ってしまうし、それ以前に、キリスト教会は存在すらしていないでしょう。

②「しかし、キリストは復活した」…ここでパウロは、改めて、キリストが初穂として復活したということを宣言しています。「初穂」ということは、キリストを信じる者もキリストのように復活するということです。アダムによって罪と死が全ての人に及びましたが、キリストによって信じる全ての人が生かされ復活するのです。この度、筆者は「逆転満塁サヨナラホームラン」という手製トラクトを作りました。今から57年前、筆者が小学6年生の時のソフトボール大会の決勝で、最終回の7回裏、6対3で敗北濃厚な筆者の所属するA小学校は、ツーアウト満塁の場面から、逆転満塁サヨナラホームランが飛び出し、絵に画いたような土壇場での逆転勝利をしたのです。キリストが十字架に架けられていたとき、二人の強盗たちも共に十字架刑を受けていました。しかし、その二人のうちの一人の強盗は、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときは、私を思い出してください。」と言いました。するとキリストは「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしと共にパラダイスにいます。」と言われました。正に、その強盗は、土壇場で復活のいのちに与り、人生の大逆転勝利を得たのです。

③「死者のゆえのバプテスマ」…この29節の「死者のゆえのバプテスマ」という表現は、昔から問題とされた箇所のようですが、文脈と教理面から見て、「死者」というのは「この世に対して死ぬ」という意味で使われていると思います。ローマ6:4には「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」とあります。私たちは、キリストと共に死んで、キリストと共に生きる生き方を求めていきましょう。パウロ自身もキリストと共に生きる生き方を求めたゆえに、迫害を受け、死に直面するようなことが度々ありました。33節には「友達が悪ければ、良い習慣が損なわれます」とあります。ビルマ(ミャンマー)への宣教師となったアドニラム・ジャドソンの回心の物語です。アドニラムは牧師の家に生まれ、優秀で大学は首席で卒業したほどです。しかし、大学時代に出会った無神論者の友人の影響で、信仰を失ってしまいました。卒業後のある日、旅先で泊まった宿の隣の部屋から死を直前にした若者のうめき声が聞こえてきました。翌朝、宿の主人から、その青年が死んだことと、彼の名前を聞いて驚きました。なんとその青年はアドニラムに無神論思想を植え付けた人物だったのです。アドニラムは、これは偶然のことではないと悟り、悔い改め、イエス・キリストに立ち返ったのです。この世にはびこる無神論思想や享楽主義には十分に気を付けましょう。霊の目を覚まし、復活の主と共に歩みましょう。

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