●2021年9月26日(日)礼拝メッセージ要旨「私たちの戦いの武器」 

第二コリント10:1~18からです。この10章の背景です。コリント教会はパウロが伝道して建て上げられました。しかし今、教会の創設者であるパウロに対し、彼を非難する人々がいます。そういった人々に対し、パウロは自分の立場を丁寧に説明します。今回もポイントを三つ上げていきます

①「私たちの戦いの武器」…クリスチャンの戦いの武器は、この世の物ではありません。それは霊的なものです。しかも、戦いの相手は人ではなく、創造主なる神に敵対する悪霊です。この世は悪霊である空中の権威を持つ支配者の支配下にあります(エペソ2:2)。勝利するには聖霊の力に頼る必要があります。そして、パウロが1節で言っているように「キリストの柔和と寛容」をもって、物事に向かうべきです。オリーブライフ10月号には、ネタニヤフ首相から新首相に代わったベネット首相のことが取り上げられていました。ベネット氏はイスラエル史上初めてのユダヤ教正統派出身だということです。8月にアメリカのバイデン大統領とアメリカで会談をしました。その会談を終えて、帰りが安息日に引っかかると分かると、帰国を一日延ばし、アメリカでユダヤ教の礼拝をしたのだそうです。そしてよくお祈りするとのことです。あくまでもユダヤ教という枠組みの中での話ですが、そういった神を第一にする姿勢は見習いたいものです。クリスチャンの武器は、イエス・キリストの御名によって祈り、そこから注がれる聖霊の力です。そして、キリストの柔和と謙遜をもって、行動しましょう。

②「パウロは弱々しい?」…弱々しいなんてとんでもない。パウロほど力強い働きをした伝道者は他にいないでしょう。彼は、キプロス、小アジア、マケドニヤ、アカヤで多くの人をキリストの救いに導き、教会を建て上げて行きました。パウロが力強くなくて、誰が力強いのでしょう。しかし、10節では「パウロの手紙は力強いが、実際に会うと弱々しく、その話しぶりはなっていない。」と言われています。これは本当なのでしょうか?例えば、アポロという人がいます。彼は雄弁家で、公然とユダヤ人を論破した(使徒18:28)と記されています。しかし、そのアポロがパウロのように多くの人を救いに導き、教会を建て上げたという記事を聖書で見つけることはできません。その謎は、第二コリント12:9にあると思います。そこには「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」とあります。弱さのうちにキリストの力が完全に現れるのであるなら、パウロが表向きの強さに目もくれず、むしろ弱さを誇ったことがうかがえます。それゆえに、「パウロは弱々しい」と言われたのかもしれません。大事なのは、弱さの中に現われる神の力によって歩むことです。

③「誇る者は主を誇れ」…12~18節の文面から読み取れるのは、パウロを批判する人々は、自己推薦をしたり、限度を越えて他の人の働きを自分の働きのように誇っていたようです。それに対して、パウロは自分の功績を誇らず、ただ主を誇るべきだと言っています。エレミヤ9:24には「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。」とあります。仏教の開祖シャカ(仏陀)は、「人間は死や苦しみを免れることはできない。免れようと、もがくから苦しむ。それなら、死や苦しみを受け入れる。それが悟りだ。」と教えました。しかし、それでは何の解決もありません。イエス・キリストは、その死と苦しみから人々を解放するために、十字架で死なれ、葬られ、三日目に復活し、今も生きて、天の御座で執り成しておられるのです。聖書が示す「悟り」とはイエス・キリストを知ることです。そして、私たちが誇るのは、そのイエス・キリストただお一方です。

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