●2021年10月10日(日)礼拝メッセージ要旨「弱さを誇る」 

 本日は、第二コリント11章16~33節からです。11章前半の1節から15節でパウロは、「誇る」ということを愚かであるとしながら、コリント教会から報酬を受けなかったということを誇っていますが、ここの後半では、自分の「弱さ」を誇っています。なぜ、愚か者のように誇ることをしたのかというと、それは、ニセ使徒たちに翻弄(ほんろう)されているコリント教会の人々がそこから目覚めてほしいと思い、あえて、そのような手段を取ったのです。今回もポイントを3つ上げていきます。

①「キリストのしもべ」…当時、コリント教会にはニセ使徒たちが入り込み、支配的にふるまっていたと思われます。パウロは、ニセ使徒と自分と比べて、どちらが本当のキリストのしもべであるのかを伝えたかったのです。「キリストのしもべ」は英語で、ministers of Christ です。ministerとは、召使いのことですが、今日、ministerは教会の牧師や国会の大臣のことでもあります。つまり、人々に仕えることを期待されています。また、パウロはキリストのしもべであるということを心の底から喜んでいたのです。使徒の働き26章でパウロはローマ総督フェストとアグリッパ王の前で話(証し)をしています。そのとき使徒26:29で「私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」と、鎖に繋がれた囚人の立場であるにもかかわらず、「私のようになってください」と驚くべきことを言っています。

②「労し苦しみ、眠られぬ夜」…クリスチャンはイエス様を信じ、素晴らしい救いを受けたとしても、時々苦しいこともあります。パウロは福音宣教のために迫害されて多くの非常に苦しい体験をしました。死に直面したり、むち打ち刑、石打ち、難船、盗賊の難、その他等々、あまりに多くの苦難を体験しました。パウロのような経験をした人は、まず、いないでしょうが、人それぞれ、色々な形で何らかの苦難を経験するのもまた人生です。しかし、クリスチャンには祈りがあります。切に神を求めて、神からの助けをいただき、平安のうちに勝利を得させていただきましょう。

③「すべての教会への心遣い」…パウロは、クリスチャンになってから、その生涯は福音宣教に捧げました。そして、すべての教会のために仕えました。今、コリント教会の人々が信仰的につまずいているので、パウロの心は激しく痛んだのです。今日の私たちクリスチャンも関わる人々に対して無関心であってはなりません。宗教改革で有名なマルチン・ルターは「キリスト者の自由」ということを提唱して、「キリスト者は何に対しても束縛されない自由があるが、すべての人に仕えるしもべである」ということを言っています。特にクリスチャンは、イエス・キリストの救いの福音を届けるという大きな使命が与えられています。

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