●2021年10月3日(日)礼拝メッセージ要旨「キリストに対する真実と貞潔」 

第二コリント11:1~15からです。まず、この章の背景です。1節でパウロは「私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたい」と言っています。この「愚かさ」とは「誇る」ということです。何を誇るのかというと、7節にあるようにコリント教会から報酬を受けなかったということです。なぜ、報酬を受けなかったかというと、報酬を受けたことを理由にして、パウロを訴える人々(にせ使徒、人を欺く働き人)がいたからです。今回もポイントを3つ上げていきます。

①「キリストの花嫁」…パウロはコリント教会の人々に対し「キリストの花嫁としてささげることにした」と言っています。今の時代においても、クリスチャンは、キリストにつくバプテスマを受け、キリストの花嫁として、真実と貞潔を期待されています。厳密には、キリストの再臨の時までは、クリスチャンはキリストと婚約関係にあると言えます。再臨の時が来て、晴れてキリストの花嫁となるのです。キリストの花嫁として最も期待されていることは「きよく生きる」ことです。マタイ5:8には「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」とあります。聖なる神は、きよさを求めて歩む者と共におられて、栄光を現わしてくださるでしょう。

②「人を欺く働き人の存在」…聖書を読んでいて、「なぜ神はサタンの存在を許したのか?」、また「なぜ神はこの世の悪を放っておかれるのか?」と思うことがあります。でも、それらのことは、神の領域に関することであり、我々人間の及ばないことであって、神に委ねるしかありません。既に、アダムの時代、エデンの園ではサタンの化身であるヘビが現れています。また、今日、科学技術が進み、生活が便利になった反面、それらの技術を悪用して人を欺こうとする悪人もいます。創世の初めから今日まで、悪魔と悪の存在は連綿と続いているのです。マタイ13章には、良い麦と毒麦のたとえ話があります。しもべが、生え出た毒麦を「抜き集めましょうか」というと、主人は「良い麦まで一緒に抜いてしまうから、収穫時まで待ちなさい」と言います。この世の終わりには、毒麦が集められて火で焼かれるように、神は正しい審判をされます。

③「惑わされないために」…大事なことは、サタンや悪に惑わされないことです。そのために私たちは、マタイ10:16にあるように「蛇のようにさとく、鳩のように素直である」ことです。この世は、善意の人ばかりではありません。悪を企んで近づいて来る人もいます。ですから、鳩のような素直さを保ちながらも、注意深く生活することです。第二テモテ3:15には「また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」とあります。聖書は私たちに知恵を与えてくれます。特に日本においては、多くの人が偶像礼拝を罪であることを知らずにいます。人間はどんなに偉くなっても神格化すべきではありません。もちろん、死んでも拝む対象とすべきではありません。人間は互いに尊敬し合い、いたわり合うべき存在で、それ以上でも以下でもありません。ですから、よく聖書を読んで、そこから知恵を得て、よく祈り、毎日のデボーションを欠かさないようにしましょう。

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