●2021年11月14日(日)礼拝メッセージ要旨「改革者としてのパウロ」 

ガラテヤ1:11~24からです。ガラテヤの諸教会には、ユダヤ主義者が入り込み、異邦人クリスチャンたちに割礼を求めたようです。しかし、「偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。(使徒15:29)」と、エルサレム会議で決議されていて、異邦人クリスチャンに割礼を求める正当な根拠はありません。そういったことが背景にあって、この手紙が書かれました。ポイント3つ上げていきます。

①人間によるものではありません(11節)…パウロの救いは、非常にめずらしいケースで、誰かから福音を聞いて信じたのではなく、直接、主イエスが聖霊によって、パウロを救いに導きました。正に、人間によるものではありませんでした。元々、この世界とその中に住む人間も、目に見えない真の神によって存在しています。私たち一人一人は、自分で生きているのではなく、その神によって生かされているのです。ヘブル11:3には「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」とあります。神によって生かされているのなら、神とともに生きるべきです。パウロは、主イエスに出会い、主イエス・キリストともに、福音宣教のために生涯をささげました。

②「アラビヤに出て行き(17節)」…日本ハムファイターズの監督が新庄剛志氏になりました。新庄氏は何かと話題になり、無鉄砲な人に見えますが、意外に堅実な面もあります。最近、その発言が新庄語録と言われています。「地味な努力こそ派手になれる」と言い、メジャーに行こうとしたとき「誰かに相談したら『無難な道を選べ』と言われる(だから人に相談しない)」とも言っています。パウロは「すぐに人には相談せず、アラビヤに行った」とありますので、少し両者が重なる部分もあります。本日のメッセージは「改革者としてのパウロ」です。パウロは、人よりも、まず、神のみこころと聖霊充満を求めました。人を恐れて人の作ったしきたりに気を使うのではなく、真の神に従い、改革者として大胆に邁進して行ったのです。今日、日本の多くの人々は偶像礼拝と偽りの教えに翻弄されています。クリスチャンは、そういった人々に囲まれています。改革者は受け身であってはなりません。この世を変えて行かねばなりません。変えるためには聖霊充満が必要です。そのためには祈りが必要不可欠です。これまで通りの祈りで満足していてはなりません。もっともっと祈りましょう。

③「彼らは私のことで神をあがめていた(24節)」…パウロは熱心なユダヤ教徒で、その熱心さのゆえにキリスト者を迫害していました。しかし、イエス様に出会い、今度は熱心にキリストの福音宣教に励みました。静岡城北教会の初代牧師だった見城良雄師は、かつて、クリスチャンの奥さんを家庭内で迫害していました。しかし、奥さんの熱心な祈りにより、悔い改め、救いを受けました。すると今度は熱心に主に仕え、やがて、郷里の静岡へ行き、開拓伝道を始め、多くの実を結びました。誰でも過去において様々な失敗があるものです。しかし、主のもとに来て悔い改め、主に仕えるならば、主の御名があがめられ、栄光は主に帰されます。

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