第一テサロニケ2:1~12から、「神を喜ばせる」という題でポイントを3つ上げて行きます。
1.激しい苦闘の中でも…使徒の働き16章~で、パウロは当初アジアの東方面に行こうとしていたのですが、主の御霊に導かれて、アジアからマケドニヤに船で渡りました。その後、パウロはピリピで伝道し、まず、ルデヤの家族が洗礼を受けました。さらに、パウロたちが伝道していると、占いの霊に憑かれた女が彼らを妨害します。そこでパウロが彼女から霊を追い出すと、今度は、その女の主人たちから訴えられ、パウロとシラスは牢に入れられてしまいます。しかし、パウロたちが牢の中で祈り、賛美の歌を歌っていると大地震が起きました。そのとき、牢の扉が開き、囚人たちが逃げたと思った看守が自害しようとしました。しかし、パウロがそれを止め、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。(使徒16:31)」と勧めました。それで、看守の家族が洗礼を受けました。その後、パウロはテサロニケに行き、3回の安息日に渡って、伝道しました。すると、おおぜいの人が救われました。そのとき、妬みにかられたユダヤ人が暴動を起こし、そこでも迫害を受けました。しかし、パウロはひるむことなく、大胆に福音を語りました。
2.神を喜ばせようとして語る…パウロの宣教活動は神に認められたもので、そこに不純な動機や迷いはありません。日本では、昨年、当初予定の一年遅れでオリンピックが開かれました。コロナ渦中で、多くの人がオリンピック開催に反対しました。しかし、政府やオリンピック委員会の人々は、開催と言う目標以外には見向きもしません。始まってしまえば、開催国の金メダルラッシュに沸きました。しかし、今になって、そのオリンピック委員会の人たちが不正を行ない、賄賂を得たことが発覚し、開催にこだわった理由に納得できます。それに比べ、パウロたちの宣教は、迷いや不純な動機は全く無く、神に認められたもので、確信を持って行なっていました。第一テモテ2:4~5には「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」とあります。私たちも、自分の利益ではなく、神が願っていることを行ないましょう。「少年よ、大志を抱け」で有名な札幌農学校のクラーク博士は、優秀な人で、アメリカの大学で教えていたのですが、彼を知る同志社の新島襄の紹介で、その大学の長期休暇を利用して、9カ月間札幌農学校に来て教えたのです。アメリカに帰ったクラーク博士は、その後、事業に失敗し、59歳の若さで亡くなります。そのとき彼は「今、自分は、一生を振り返ってみて何の誇るものがないが、ただ、日本の札幌において、数カ月の間、日本の青年たちに聖書を教えたことを思うと、少なからず満足と喜びを感じる。」と言っています。
3.母のように、父のように…パウロは、テサロニケのユダヤ人会堂で3回の安息日で論じたのですが、たぶん、それだけではなく、キリストを信じた人々に対して、別の機会を設け、懇切に彼らのために尽くしたのではないかと思われます。その際、パウロはテサロニケ教会の人たちに、母親のように優しく接しました。また、父親のように威厳をもって教えました。創造主である神は、私たちに対して父親のような威厳と母親のような優しさを併せ持っています。その証拠に、ひとり子イエス・キリストを世に送り、十字架の救いを成し遂げられます。私たち人間は、元々、神に似せて形造られました。マタイ5:13には「あなたがたは、地の塩です。」とあります。また、マタイ5:14には「あなたがたは、世界の光です。」とあります。私たちも神に似た者とされ、地の塩、世の光として歩みましょう。