●2022年11月13日(日)礼拝メッセージ要旨  

 第一テモテに入りました。テモテへの手紙は牧会のあり方、監督や執事について記されていて、牧会書簡とも呼ばれています。1~11節から、ポイントを三つ上げて行きます。

①神の救いのご計画の実現をもたらすもの…まずパウロは、テモテに対して、ある人たちの違った教えに心を奪われないようにと警告しています。当時は、旧約聖書は存在していても、自分用のものなどありませんし、新約聖書はまだ無かった時代です。今では、旧新約聖書が揃っていて、しかも誰もがそれぞれの聖書を持っています。それでも、聖書本来の教えから脱線する人々もいます。かつてアメリカの有名な大伝道者であったビリー・グラハム博士(1918~2018)はメッセージの中で何度も“The Bible said”(聖書は言っています)と語っていました。私たちは、聖書に関連して、様々な情報を耳にするものです。確かに聖書が言っていることなら、「アーメン」ですが、そうでない場合は信じてはなりません。私たちは、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものであるか否かということをしっかりと見極めて行かねばなりません。

きよい心と正しい心…昨日(11月12日)、朝のローカルニュースで、石巻市の海の近くにイスラム教のモスク(礼拝施設)が出来たと伝えていました。漁船に乗って働く日本人青年が少なく、インドネシアから来た青年たちが漁船に乗り、訓練生として働いているのです。そんな彼らのために、小さなモスクが出来たのです。その青年たちの一人がインタビューに答え、生活する上での三つの目標を語っていました。一、感謝する。二、健康が守られる。三、正しい生活をする。その答えそのものは悪くはありません。イスラム教の場合は、コーラン(イスラム教の聖典)の教えを守ることによって救われるとしています。そして、イエス・キリストは預言者の一人であるけれども、全知全能の神の御ひとり子として認めてはいません。しかし、ヨハネ14:6には「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」とあり、またヨハネ10:9には「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」とあります。私たちの罪のために十字架で死に、葬られ、復活したイエス・キリストを信じる信仰によって罪の赦しという救いがあるのです。5節に記されている「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛」は、神の御子イエス・キリストを信じる信仰から始まっていくのです。

③律法と福音…この世界は創造主である真の神によって、創造され、成り立っています。その神が私たち人間に対して律法を授けました。この律法に従わない者は罪に定められます。しかし、真の神は人間を愛し、人間が滅びることを望まず、御ひとり子イエス・キリストを世に送られました。そして、キリストは十字架の贖いによる救いを成し遂げられたのです。9節には「人を殺す者」とあります。普通、そんなことはしません。しかし、マタイ5:21~22には、「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」と書いてあります。すべての人は罪人であり、ただ、神のひとり子イエス・キリスト十字架による贖いのゆえに義とされるのです。11節には「祝福に満ちた神の栄光の福音」とあります。また、パウロは「その福音をゆだねられた」と言っています。私たちも、この栄光の福音の喜び中に生き、そして、この福音をゆだねられた者として主を証ししていきましょう。

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