●2023年2月19日(日)礼拝メッセージ要旨  

第二テモテ2:1~17から「聖書はすべて神の霊感による」という題でポイント3つ上げていきます。

1.終わりの日には困難な時代が…この2~5節では、終わりの日には「自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり…」などと、実に17項目について記されています。イエス・キリストがマタイ24:12で「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」と言っておられ、やはり終わりの時代には、そういった混沌とした、愛の冷える傾向に進むようです。現在は終わりの日を迎えつつあると言えるでしょうが、昨今の様々なニュースなどから、確かにそう言えるかと思います。しかし、キリストの救いに加えられた私たちは、5節にありますように「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者」などには決してならず、むしろ、世の光、地の塩として、先週の2章で学んだように「若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求める(Ⅱテモテ2:22参照)」者でありたいと願います。

2.敬虔に生きようと願う者は…11節で、パウロは、現在のトルコ、当時の小アジアのアンテオケ、イコニウム、ルステラで迫害や困難に遭遇したと言っています。使徒16章では、パウロはルステラでテモテに出会ったようです。テモテはパウロに従順に仕え、やはり、同じように迫害や困難を経験したようです。(※注釈…アンテオケという地名は聖書では2か所に出てくる。パウロが宣教の拠点にしていたのはシリヤのアンテオケで小アジアのアンテオケは別の所。なお、シリヤのアンテオケは最近の地震のニュースではアンタキヤ(アンティオキア)という名称で紹介されている。)、現在、トルコはイスラム教一色に覆われているようですが、最近、当教会に届いたメールによりますと、やはり、トルコにも福音的な教会が現存しているようで、信頼できる某団体を通して、日本から、そこに支援しようとの呼びかけが来ています。さて、12節では「敬虔に生きようと願う者はみな迫害を受ける」とあります。イエス・キリストを信じる信仰は、何にも代えがたいものです。確かに迫害や困難は歓迎出来ませんが、それによって信仰姿勢を変えるようでは、神の民としてふさわしくありません。但し、主の祈りの中には「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイ6:13)」とありますから、すべての悪から守られるように謙虚に祈ることはよいことです。イエス・キリストは、私たちの罪をその身に負われて、贖いを成し遂げただけではなく、今も生きて、私たちを執り成してくださっています。

3.聖書はすべて神の霊感による…1445年、グーデンベルクが活版印刷技術を考案して以来、今日、誰もが簡単に(政治体制的な問題がなければ)聖書を持つことが出来ます。聖書が語っている天地を創造した真の神様がいらっしゃるなら、ご自分のメッセージを残し、それをまとめて、私たち人間がそれを理解することが出来るように形にして残されることでしょう。実際に聖書はBC1500年からAD100年くらいまでの1600年の間にかけて、40人ほどの執筆者によって、統一されたものとして、今日に残されています。そのことがイザヤ34:16に「の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。」と記されています。聖書は、私たちに救いを受けさせ、教えと戒めと義の訓練に有益で、神の働き人として整えてくださいます。すべてが聖なる神の霊感によって書かれていますから、何を読むよりも遥かに有益なもので、これを読まないということは大きな損失でもあります。私たちは、これまで以上に益々聖書のみことばを慕い求めてまいりましょう。

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