●2023年5月21日(日)礼拝メッセージ要旨 

ヘブル7:1~28からです。「メルキゼデクの位に等しい大祭司 」という題でポイント3つ上げていきます。

1.メルキゼデクとは…メルキゼデクとは、いったいどういう方だったのでしょうか。メルキゼデクは創世記14章では、18~20節までのたった3節にしか出てきません。当時アブラハムの甥のロトがソドムに住んでいました。そのとき、ケドルラオメルという王たちがソドムを襲い、ロトと彼の財産もろとも奪って行ったのです。そこで、アブラハムは自分のしもべたち318人を引き連れ、ロトたちを救出し、財産も奪い返したのです。アブラハムが凱旋すると、メルキゼデクは、アブラハムを迎え、「祝福を受けよ。アブラム(当時の名前)。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」と言って祝福したのです。するとアブラハムは戦利品の十分の一をメルキゼデクに捧げました。メルキゼデクはサレムの王、すなわち平和の王です。彼は父も母もいません。彼の生涯の初めも終わりもありません。そのようにヘブル7:2~3では言っています。つまり、普通の人ではない、神の人として現れています。創世記18章では、三人連れの不思議な神の人がアブラハムに現われ、彼の妻サラに翌年の今頃、男の子が与えられこと、そしてソドムとゴモラが滅ぼされることを伝えています。さらに、創世記32章では、ヤボクの渡しで神の人が現われ、ヤコブと相撲を取っています。もしかしたら、それらの神の人は、旧約時代に人として現れたイエス・キリストかもしれません。もちろん、そのことについて聖書は何も言っていませんが、言うまでもなく、キリストはクリスマスの時から存在した人物ではありません。アブラハムが生まれる前から存在し(ヨハネ8:58)、また天地が始まる前からおられたのです(箴言8:22~)。

2.レビ系の祭司との違い…モーセの時代、モーセの兄アロンは大祭司として立てられました。モーセとアロンはレビ部族の出身だったので、それ以来レビ部族が民全体の祭司の役目を担うことになりました。そのレビ族の族長であるレビはヤコブ(イスラエル)の12人息子の三番目です。またヤコブの祖父はアブラハムです。そのアブラハムはメルキゼデクに十分の一をささげました。つまり、明らかに祭司職を担うことになるレビ族の族長レビよりもメルキゼデクの方が上の立場です。それに加え、レビ系の祭司は、その務めを全うしているとは言えません。そのことが、ヘブル7:27で「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」と言っています。キリストは、律法にはよらず、いのちの力によって祭司となったのです。

3.とこしえの祭司…17~21節には詩篇110:4のみことばが分散して引用されています。元々の詩篇110:4には「は誓い、そしてみこころを変えない。『あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。』」となっています。「あなたは」とはイエス・キリストです。キリストはメルキゼデクの位に等しいとこしえの祭司であり、そのことは、天地のが誓って言われ、それは変わることがないのです。キリストは十字架による救いを成し遂げ、死から復活して天に昇り、天の父なる神の右の座に着き、今も、とりなしのわざを行なっておられるのです。ヘブル7:26には「また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」とあるように、私たち全ての人間にとって、「まさに必要な方」なのです。キリストはメルキゼデクの位に等しい永遠の大祭司であるならば、そのイエス・キリストを信じるキリスト者は、小さな祭司でもあります。キリスト者は、イエス・キリストの救いの福音を伝え、そして、自分が関わる回りの人々のために執り成しの祈りをささげるという祭司の務めを担うことを期待されているのです。

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