●2023年11月26日(日)礼拝メッセージ要旨  

第2ペテロ1:1~11から「信仰には徳を~」という題でポイントを3つ上げていきます。

1.尊い信仰…先週の23日(木)は、教会の礼拝堂、ロビーなどのワックスがけをしました。今回、当教会建物の内部を施工してくださった建築業者さんの無償提供によって、ワックス会社の方々が来られての作業が行なわれました。意外と大変なのがワックス作業に入る前の家具(聖具)の移動です。本日の礼拝では、全く先週の日曜日と同じですから、一週間、何事も無かったように見えます。しかし、長椅子などの大きな家具の大移動があったのです。何を言わんとしているのかと申しますと、今、私たちが住んでいるこの世界、昔からこのまま存在しているように思えるかもしれませんが、全知全能の真の神によって、天地創造があり、ノアの大洪水もありました。そして、イエス・キリストの預言通り、戦争、民族対立、大地震、疫病、飢饉、天からのすさまじい前兆が進行していくことでしょう。マタイ24:35には「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」とあります。しかし、たとい天地が滅びたとしても、救い主イエス・キリストの義、すなわち十字架の救いを信じ受け入れるならば、滅びを免れ、神のご性質にあずかる者とされ、永遠のいのちを受けるのです。それは、正に尊い信仰を受けたのです。

2.信仰には徳を~…イエス・キリストを信じて、救いを受けた人は、その信仰をしっかりと持続していかねばなりません。そのために、信仰には、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛を加えなさい、と教えています。徳とは、道徳的な生き方です。知識とは、この世の知識も含まれるでしょうが、やはり聖書のみことばを心に十分蓄えることです。自制とは、常に謙虚であるべきということでしょう。どんなことでも一つのことを成功させるためには忍耐が必要です。敬虔とは、神を恐れて生きる生き方です。「兄弟愛」は文字通り兄弟愛、ギリシャ語原語でフィラデルフィア(Φιλαδέλφια)です。「愛」とは神の愛、アガペー(αγάπη)です。私たちが神の愛を実践することは至難の業とも言えますが、神の愛を示されたイエス・キリストの福音を宣べ伝えることで、それを行なうことができます。まとめますと、信仰生活を持続するにあたり、総合的にバランスの取れた人格に整えられたいものです。松下電器の創業者・松下幸之助さんの講演をYouTubeで視聴しました。「能力のある人は物事を大成功に導くことができるが、反面、利己心を出して大きな間違いをする危険性を併せ持っている」と、そういったことを語っておられました。そういう意味においても、人間性におけるバランス感覚は大事です。第二テモテ1:7には「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」とあります。「徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛」は七つに対し、こちらは、「力と愛と慎み」の三つで覚えやすいですね。

3.ますます熱心に…先日、教会に電話がかかって来ました。その方は、キリストを信じてクリスチャンとなり、いわゆる普通の健全なキリスト教会に40年間ほど行かれていたとのことですが、現在は、韓国の某キリスト教系の新興宗教に入信しているとのです。何か私たちの教会のホームページを見て、布教のためなのでしょうか、それとも何か相談を兼ねていたのでしょうか、しばらく電話でお話ししました。私は、その団体が教理的に間違っているということは認識していたものの、具体的にどこが間違っているのかということをすっかり忘れていて、その方に適切な対応が出来なかったことを悔やみました。後で調べると、その団体は他の多くのキリスト教系新興宗教とほぼ似ていて「教祖が再臨の主である」と主張しているようです。マタイ24:23には「そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。」と書いてあるのですから、そういった聖書の個所をよく読んでいたら「教祖が再臨の主である」と聞いたらすぐに怪しいと思うべきでしょう。そういったことだけではなく、私たちは、様々なこの世の霊、闇の力に取り囲まれているのではないでしょうか。ですから、礼拝出席を堅持し、みことばと祈りに励み、機会あるごとに証しと福音宣教に務めましょう。最後は、この第3ポイントが含まれている節です。「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。(第二ペテロ1:10)

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