第一ペテロ3:1~22から「祝福を与えなさい」という題でポイント4つ上げていきます。
1.妻たちよ、夫たちよ…男性と女性に関して、聖書の記事では大抵において男性を先に取り上げています。ところが、結婚生活の教えについては、なぜか女性が先です。このペテロ3:1では「妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。」とあり、エペソ5:22でも「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」となっています。そうすると、妻が夫に対して一切異を唱えてはいけないというような印象を受けますが、そうではなく、互いに意見の相違が出てきたときは、夫婦で十分話し合い、理解し合えば良いのです。それでもまとまらない場合は、妻が夫にその最終決断をお任せするという形が理想です。もちろん、夫も十分に妻の意向を考慮しつつ、責任をもって決断するということがよいでしょう。昨今は「男女平等」ということが盛んに言われておりますが、闇雲に何でも平等にすれば良いのではなく、創造主である真の神様が与えてくださっているところの、夫(男性)の役割、妻(女性)の役割というものがあるという受け止め方をすることが大事ではないでしょうか。
2.祝福を与えなさい…私たちは実生活の中で、良いことばかりではなく、時には嬉しくないこと、人から冷たくされたり、悪口を言われることもあるでしょう。そんなとき、どう対応するのが良いでしょうか。9節では「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。」と言っています。ルツ記で、ボアズが自分の畑にやって来て、そこで刈り入れをしている人たちと言葉を交わす場面があります。ルツ記2:4です。「ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。『【主】があなたがたとともにおられますように。』彼らは、『【主】があなたを祝福されますように』と答えた。」とあります。こういった天地万物の創造主である全知全能の主の御名によって互いを祝福する挨拶は、正に祝福です(この後、実際に、ボアズとそこの畑にいたルツが結ばれます)。ルカ10章では、キリストが70人の弟子たちを二人ずつ組みにして遣わす場面があります。そのときキリストは「どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。(ルカ10:5~6)」と言われました。人を祝福して、その人が祝福されたら、それは喜ばしいことであり、その人に祝福が留まらなければ、祝福した人に返ってくるのですから、いずれにしても、人を祝福するということは、正に永遠の祝福をもたらすのです。
3.いつでも弁明できるように…15節では「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」とあります。「希望」とは何でしょうか。イエス・キリストを信じる信仰によって与えられる永遠の希望のことです。たといこの世で絶大な権力と莫大な富を持っていたとしても、その「希望」を持っていなければ、空しく滅びてしまいます。「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。(詩篇49:20)」と、ある通りです。キリストにある私たちは、その希望を、優しく、慎み深く、正しい良心をもって人々に証ししたいものです。
4.正しい良心の神への誓い…昔(BC 2350年頃)、ノアの大洪水がありました。そのとき箱船で救われたのはノアの家族8人だけでした。キリストの再臨が近づいていると言われる今日(こんにち)、水で世界が覆われるということはありませんが、今度は火によって焼かれるときが来る(第二ペテロ3:6~7)のです。昔は箱舟で8人が救われたように、今度はイエス・キリストを信じ受け入れてバプテスマを受けることによって救われます。それは、正しい良心の神への誓いです。私たちは、聖書に記されているみことばが真実であるということを認め、素直にみことばに聞き従い、救いと祝福の道を真っすぐに歩んでいきましょう。